雪の合間を縫ってきぶねをほうもん、寒さのわりに参拝者も多く、凛とした空気の中散策。
鞍馬寺西門。
爽やかな冷気の中、日差しが温かく感じられる。
鞍馬山 義経修行の道を歩
京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。 鞍馬は牛若 … 続きを読む →
貴船神社山門、ご神木の桂、まるで御神氣が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、貴船神社の御神徳を象徴。
貴船神社は今や神社では必須アイテムの“絵馬”発祥の地でもあり、本宮では白と黒の2頭の馬の像が私たちを出迎えてくれます。
「水を司る神」を祀る「貴船神社」や「丹生川上神社」には、日照りや長雨が続くと、朝廷より勅使が派遣されて、降雨を祈願するときには「黒馬」が、止雨を祈願するときには「白馬」が、その都度、奉納される習わしになっていた。
和泉式部もたどったといわれる恋の道を奥宮へ向かう。
緑の風の中 貴船川沿いを華やかに染める 貴船祭
貴船神社の氏子は、わずか20世帯。 市街地のお祭りのように、決して賑やかとは言え … 続きを読む →
ちょうどお昼時、店の前では熱心に呼び込みが。
相生の大杉
樹齢1,000年の名木。
同じ根から生えた2本の杉の大木がぴったりと寄り添っている。
「相生」は「相老」に通じ、その寄り添う姿が仲睦まじい老夫婦の姿にたとえられ、夫婦円満の象徴として親しまれている。
奥宮の入り口にさしかかる、ここは「思ひ川」
奥宮参道の入り口に架かる橋を「思ひ川橋」といい、その下の流れを「思ひ川」という。
和泉式部の恋の道をたどり貴船へ
恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。 また同僚女房であった紫式部には … 続きを読む →
また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評された(『紫式部日記』)。
女人往生の念仏道場 誓願寺
女人往生のさきがけとして、都の才女・清少納言が誓願寺において発心し、髪を落して尼 … 続きを読む →
恋多き情熱の歌人・和泉式部が女人往生を遂げた誠心院
恋多き女も娘に先立たれ、この世のはかなさを思い、仏門に入ります。 その娘というの … 続きを読む →
かつては御物忌川(おものいみがわ)と呼ばれ、参詣する際にこの川で禊して心身を清めたと思われる。
和泉式部も参詣して恋を祈ったとことから、「おものいみがわ」が変じ、「おもひがわ」になったのではないかといわれている。
大木の中、和泉式部の恋の道を奥宮へ向かう。
奥宮の境内。
伝説では、第18代の反正天皇の御代(1600年程前)の創建といわれています。
今は奥宮ですが、元々ここが本宮だった。
この奥宮が鎮座している場所は、貴船の谷の一番低い所にあるためしばしば水の害に遭い、天喜3年(1055年)に貴船神社の本宮を現在の場所に遷したという。
左が神門、正面がご神木「連理の杉」
連理とは、別々の木が融合している状態のことで男女・夫婦仲の良いことに例えられることも。
この木は、杉と楓が和合した珍しい木。
拝殿、その奥が本殿、右奥が権地。
「権地」とは、社殿の新築・改築・遷座などで社殿の工事を行う際に、仮の社殿を建てる場所のことをいう。
文久年間(1861~63年)、本殿工事の際に大工が誤ってノミを本殿下の竜穴に落としたところ、にわかに天候が変わって突風が起こり、ノミを空中へ吹き上げたなどという話も伝わっています。
またその時、怒った竜が現れ、その大工は落命したという話もあります。
そんな伝説も遺されているほど、「決して侵したり、穢したりしてはいけない神聖な場所」だと考えられていたのでしょう。
船形石
鎮座地としての伝説では、浪花の津(大阪湾)に、黄色い船に乗った女の神様が現れ、「われは玉依姫(たまよりひめ)なり、この船の留まるところに社殿を建てて、そこの神様を大事にお祀りすれば国土を潤し、庶民に福運を与えん」とのお告げがあり、その船は淀川、鴨川をさかのぼって水源の地・奥宮辺りの川のそばから水の湧き出るところに船を留め、そこに、御社殿を建てたと言われています。
この黄船を隠すため小石を積み上げたとされるのが船形石。
小石は、旅行や航海安全のご利益として持ち帰る人もいるそうですが皆がそうすると大変なことになるので、やめたほうがいいでしょう。
白鳳6年(1300年程前)には、本殿を造り替えたとの社伝が残っておりキフネの地名は、玉依姫の乗ってこられた黄船から起こったともいわれています。
また、この地は丑の刻参りの伝説でも知られる。
宇治の橋姫伝説
さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫 「古今和歌集」 「む … 続きを読む →
能楽「鉄輪」とは夫に見捨てられた女が、貴船神社に丑の刻参りをして恨みを晴らそうとするも、安倍晴明に祈り伏せられるという物語である。
丑の刻参りと鉄輪の井
堺町筋を北に上がり、万寿寺通りを超え、松原通に出る手前の左側に不思議な路地ある。 … 続きを読む →
その形相はさながら夜叉の如く、詣でる時の服装はといえば、顔には朱をさし、体には丹を塗り、頭には鉄輪をかぶって、そこに三本のローソクを灯し、口に松明(たいまつ)をくわえて、洛中から遥か貴船までの道をひた走った。
悪縁切り 菊野大明神
河原町二条交差点の少し北東にある法雲寺は、ガランとした境内の地味なお寺という印象… 続きを読む →
「菊野大明神」の覆屋
縁切り石となった由縁は、「宇治の橋姫」が宇治から貴船神社へと通う毎夜、この石に腰を掛けて休んだからだとか。