悪縁切り 菊野大明神

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河原町二条交差点の少し北東にある法雲寺は、ガランとした境内の地味なお寺という印象ですが、境内奥にひっそりと祀られている「菊野大明神」が良縁を結び悪縁を絶つ、縁切り縁結びの神様として知られていて、参拝者の9割は女性ということです。

もともとこの場所は、正暦元(990)年に関白太政大臣・藤原兼家が邸宅を寺に改めて創建した法興院があったところ。
その後、兼家の私寺は廃絶し、邸宅の池水の跡の泉だけが残っていましたが、そこに永禄10(1567)年、源蓮社清善という僧侶が草庵をむすび、さらに元和元(1615)年に堂宇が建立され伽藍が整ったのが法雲寺の始まりとされています。

元々三条東洞院にありましたが、石の傍を通ると男女の縁が切れるといわれ、花嫁行列もこの石を避けて通ったと伝えられていて、天明の大火の後にこの霊石が法雲寺に祀られるようになったのではないかということです。

まわりには高層マンションが建ち並び、境内も駐車場と化し、かなり経済的に厳しい状況をうかがわせる。

境内の隅にある壊れたままの石塔。

一見民家風の入り口が庫裏の入り口。

庫裏を通った裏手(庫裡の東)に「菊野大明神」の小さな祠が祀られていて、御神体は霊石ということです。
「菊野大明神」の「菊野」は、本来は「聆乃(きくの)」で、願い事をきくという意味の言葉だったのが、いつしか「聆」が「菊」となったと考えられています。

「菊野大明神」の覆屋
縁切り石となった由縁は、「宇治の橋姫」が宇治から貴船神社へと通う毎夜、この石に腰を掛けて休んだからだとか。

「宇治の橋姫」といえば、男への深い嫉妬から、相手の女を呪い殺そうと貴船神社に七日間通って丑の刻参りをし、生きながら鬼となった人物。渡辺綱が一条戻橋で出会った鬼も、この宇治の橋姫でした。

また、一説には小野小町に恋した深草の少将が、腰掛けて休んだことから、縁切り石になったとも言われています。
深草の少将は小町の元に百夜通いをし、その最後の晩にあえなく亡くなってしまい、その無念の思いが「菊野さん」に乗り移ったのだとも。

お堂の中は供えられた線香の煙が満ち、無数の提灯が天井からぶら下がっている。
ご神体とされる自然石は見えない。
かつては、祠に、恨みのこもった祈願書が張られたり、女性の髪や五寸くぎを刺したわら人形が置かれていたが、1988年(皇紀2648)昭和63年に改装された。

今は良縁を結び、悪縁だけを断ち切る神様として信仰されていますが、しかし実際に訪れるのは悪縁を切りたい女性が大半だそうです・・・夫や恋人が不倫や浮気相手と別れて欲しいというのがやはり一番多く、他に子供の縁談が気に入らないから壊したいとか、ストーカーから逃れたい等もあるようです。
今でも五寸釘を刺した藁人形が備えられることもあるそうだ。

京都で「悪縁切りの神様」といえば、安井金比羅宮、鉄輪の井戸、そしてここ菊野大明神、の3つが代表格でしょうか(貴船神社奥の宮や橋姫神社などもありますが、市内からは少し遠くなります)。
いずれも霊験あらたかなことで有名。ストーカー退治なら警察よりキキメが確か、とすらいわれています。

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菊野大明神へのアクセス、行き方歩き方

住所 :京都市中京区河原町通二条上る清水町364-1 法雲寺境内
問い合わせは法雲寺TEL075(241)2331

市バス:京都市役所前 徒歩約5分
東西線 京都市役所前駅 徒歩約5分
京阪電車 三条駅 徒歩約10分

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