お龍さんゆかりの地を訪ねる

京都府
カレンダー
2024年5月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

今まで紹介してきたものと今回訪れた地をまとめて京都のお龍さんのゆかりの地として紹介します。

明治5年頃撮影の写真(ウィキ)
本名は楢崎龍(ならさき りょう/1841年~1906年)で、京都柳馬場三条南で医業を営む楢崎将作を父に、母重野貞の長女として裕福な家庭に生まれた。

お龍を表わす記録に、「どちらかといえば小形(小柄)の身体に渋好みの衣服がぴったり合って、細面の瓜実顔は色あくまで白く、全く典型的の京美人であった」というのがあったが、まるでその通りの芯が強くやさしい顔立ちの写真。

楢崎将作は若い志士が頼ってくると金品を与え親切に面倒を見、数人の食客も滞在していたようである。

お龍には,父母のほか,弟妹が4人もおりましたが,家事を任されることもなく,華道,香道,茶道などのおけいこごとに専念できたようです。

父在世中は,いわば良家のお嬢様として,裕福に暮らしていたといえます。
その楢崎家を顕彰する「坂本龍馬妻お龍の実家 楢崎家跡」の石碑が、平成20年、中京区柳馬場三条下ル「晃庵」前に建てられた。

楢崎家は元長州藩士で、楢崎将作は尊王の志士らとも交流があり、1858年、安政の大獄では連座して捕えられている。

釈放後1862年に楢崎将作が亡くなると、家屋敷も処分するなど楢崎家は次第に困窮生活となり、四条木屋町裏あたり(木屋町六角下ル都会館「龍馬」前)の借家に移り住むことになった。
ビルの前に「お龍独身時代寓居跡」の碑が建つ。

その後、母貞と妹は、洛東大仏南門前(現東山区本瓦町付近)の河原屋五兵衛の隠居所に住み込みで働き、そして、お龍は七条新地(現五条楽園)の「扇岩」の手伝をすることになる。

なんと、河原屋五兵衛の隠居所は土佐亡命志士の隠れ家に借りられていたところで、天誅組の残党のほか、この家には才谷梅太郎、石川誠之助もいたのである。
ここが龍馬とお龍の運命の出会いの場となったのだ。

才谷とは坂本龍馬、石川とは中岡慎太郎の別名である。
お龍は母、妹に出逢うため何度となく訪ねてきていたのである。
おそらく、訪れる度ごとに親しくなり、龍馬はお龍の自由奔放なところを気に入り、恋に落ちたと思われる。

母の貞とおさない2男2女を養うため、お龍は高瀬川正面にあった料理屋「扇岩」で働くことにした。
そんな時龍馬が扇岩へ訪ねてきた。

明日は江戸へ立つとという。
江戸行きを告げて、すぐ立ち去ろうとする龍馬へ、龍は人目も憚らず取りすがった。
龍は龍馬と結ばれた。

池田屋騒動の変後、浪士・脱藩士に対する詮議は日を追って厳しくなり、危険を察知した竜馬の配慮で、君江は海舟のもとへ、太一郎は金蔵寺へ、貞は杉坂の尼寺へ、龍は寺田屋へと預けられた。
寺田屋の女将・お登勢はお龍の名をお春と呼ばせ、自分の養女分として、坂本龍馬付の女中格にした。

伏見奉行所の役人に龍馬が襲われたのは24日未明。
お風呂に入っていたお龍さんが、裸で階段の駆け上り急を知らせたことで龍馬が逃げのびることができたというエピソードは有名。

寺田屋はすぐ後の1868年の鳥羽伏見の戦いで焼けてしまったそうで、いま見学できるのは明治何年かに再建したもの。
刀傷や柱のピストルの痕も龍馬とは無関係のもののようです。

当然ながら、風呂桶もニセモノ。
現在お庭になっているところが当時の寺田屋の建物が建っていたところだということです。

出会って3ヶ月、龍馬とお龍は青蓮院の塔頭の金蔵寺で結婚式(内祝言)を上げます。
「パーク・ウォーク京都東山」という賃貸マンションの前に龍馬 お龍「結婚式場」跡(青蓮院塔頭金蔵寺跡)の碑が建つ。

祝言の翌年、龍馬はお龍を紹介した姉乙女宛ての手紙に,さまざまな彼女の個性を記し,「まっことにおもしろき女」と評価しました。

龍馬はお龍を伴い京都を出て(2/29)、大坂より出帆三邦丸にて長崎に入港(3/8)し、霧島温泉などの温泉を巡り、88日間かけて鹿児島に入った。
約2ヶ月鹿児島に滞在すると、長崎に向かい小曽根邸にお龍を預けるや(6/4)、下関に出向き桂小五郎会い兵糧米を受け取り、ユニオン号を率い幕長戦争(第2次長州征伐)の四境戦争に参加(7/4)、薩長合弁の商社設立を計画(11月)するなど倒幕に向けて果敢に動き出した。

翌慶応3年4月海援隊隊長となり、5月紀州藩とのいろは丸事件を解決、9月お龍を長崎から連れだし下関で三吉慎蔵に預けるや、6年ぶりに土佐の実家に帰った。
あたかも死に急いでいるようにも思えるほどの行動である。
激動の道をゆく龍馬のお龍との時間は短かった。

龍馬が長崎でグラバーから買い求めたS&Wモデル 22口径の拳銃は二丁で、うち一丁をお龍に持たせていた。
しかし、お龍自身は龍馬の事業や仕事には全く興味が無く、龍馬も自らの歩いた道のことをお龍には何ひとつ話していなかったという。

クラブツーリズムのお勧めツアーはこちら!