春の修学院離宮散策

カレンダー
2024年4月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  

17世紀中頃(1653年(承応2年) – 1655年(承応4年))に後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇や上皇の別邸)。

谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなる。
宮内庁京都事務所が管理している。

修学院離宮は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。

後水尾上皇は女中に変装して輿に乗り、造営中の離宮を自ら訪れて造営の指図をしたというが、真偽のほどは定かでない。

参観開始時間(所要時間約1時間20分)は午前9時 午前10時 午前11時 午後1時30分 午後3時の一日5回。
急な斜面の登り下りを含め約3kmほどの苑路を歩きます。

3kmの道のりを、説明を聞きながら、写真を撮りながら、1時間20分で歩くのはかなり厳しい。

入り口は左右に磨き竹の袖塀をしつらえ,磨き丸太の門柱に磨き竹の門扉を取り付けただけのシンプルな門です。

この時期、緑がとても鮮やかできれい。

なお、修学院離宮の「修学院」は離宮の名称でなく、離宮の所在する地名の旧称、すなわち(山城国愛宕郡)修学院村(現在の京都市左京区修学院などを含む)を意味し、その名はかつてこの近隣に所在していた寺院に由来するものである。

襷(たすき)掛けの木戸に竹を詰め張りした袖塀をもつ清楚な下御茶屋中門から見学がスタートします。

下御茶屋苑路、中央奥の石燈籠は「袖形燈籠」

朝鮮灯籠は四隅に反りを持たせた笠の上に切籠形の宝珠をのせる。

緑濃い通路を寿月観へ向かう。

寿月観一の間は十五畳敷きで、北西隅に三畳の栃框(とちがまち)の上段を設けて酒座敷とする。

主座敷は上段の北に飾り棚と脇床を付した書院形式。
天袋には鶴、地袋には岩に蘭の絵が描かれており、ともに江戸後期の画家・原在中の筆と伝える。

隣接する二の間との間を隔てる四枚引きの襖には、岸駒(がんく)筆と伝えられる虎渓三笑(こけいさんしょう)の水墨画が描かれる。

下茶屋東門。

門を出ると視界が急に開ける。
比叡山を中心にして左手に北山、右手に東山の山々が連なり、正面にはなだらかな御茶山が望まれる。

緩やかに延びる松並木は上茶屋に続く連絡路で、その一条の道筋は山麓の広がりを左右に二分するような大胆に構成をとりながら、景観を損なうところがない。

この水田は昭和39年(1964年)に宮内庁が買い上げ、地元農家と契約を結んで耕作させている。

上・中・下の御茶屋の間を結ぶ松並木の道は、もとはあぜ道であったが、明治18年(1885年)の中御茶屋併合後、明治天皇の行幸に備えて拡幅整備し、松を植栽したものである。

中御茶屋・客殿の内部(縁座敷)奥の杉戸絵は祇園祭の岩戸山と放下鉾を描いたもの。

中御茶屋は後水尾上皇の第8皇女・光子(てるこ)内親王のために1668年(寛文8年)造営された朱宮(あけのみや)御所が前身。

この地にはそれ以前、上皇の第1皇女である梅宮が出家して円照寺という尼寺を構えていたが、上皇の離宮建設の意思を聞いて、奈良八島の地へ移っていた。

また杉戸に描かれた鯉の絵のどこか王朝の風合いをもったエピソードも面白い。

宮内庁職員の話では「夜な夜なこの雌鯉が杉戸から逃げ出してどこかに夜遊びにゆくという。
そこで逃げ出さぬようにこの鯉に網を掛けて逃げぬようにした」という。

金色の網はかの円山応挙の手になるというが、鯉自体は作者不明であると言う。
ただ、この網が洒落ていて注意深く目を凝らすと、真ん中に小さな破れ目が存在する。

「あの裂け目から雌鯉は結局、毎夜逃げ出して恋人の雄鯉との逢瀬を重ね、そして杉戸には、だから・・幼い子鯉が描かれているでしょう」と、落ちがつくのである。

朱宮御所の雌鯉が夜な夜な逢瀬を重ね子供までもうけた雄の鯉はいったいどこの何者なのだろうか?

想いを寄せた雄の鯉は、修学院離宮を遠く南に下った山科の毘沙門堂(正しくは出雲寺)(京都市山科区安朱稲荷山町18)という歴とした門跡寺院にいらっしゃるのだ。

一の間は十二畳半で、北側に一間の床の間と一間半の飾り棚がある。

飾り棚は大小五枚の欅が互い違いにのびやかに配置されており、あたかも霞がたなびく様に似ていることから霞棚と呼ばれ、桂棚、醍醐棚と並んで天下の三棚と称されている。

御幸門から石段を上った離宮内の最高所に隣雲亭が建つ。

ここまで登ると、急に展望が開け、眼下に浴龍池、遠方に借景の山々を望む壮大な風景が広がる。

隣雲亭の軒下には、「一二三石(ひふみいし)」と呼ばれる小石の模様が見られます。

浴竜池は谷川を堰き止めて造った人工池で、堤防は高さ13メートル、延長200メートルに及び4段の石垣で補強されているが、武骨な石垣が見えないよう、3段の生垣と大刈込で覆っている。

大刈込とは、異なる種類の樹木を混ぜ植えたものを刈込んで、全体の形を整えたものである。

千歳橋です。
切り石を組んだ橋脚二基に一枚板を渡し、二つの橋脚に宝形造りと寄棟造りの四阿風なものを建ててつないだ、変わった橋です。

19世紀前半に京都所司代から献上されたもの。

寿月観三の間、六畳敷の三の間の西に隣接して山の間の茶室がある。
女院の御座の間であったといわれ、床脇西側に開かれた肘掛窓からは苑池が一望の下に見渡せる。

浴竜池には中央の中島(窮邃亭)のほか、2つの島があり、北側の島は三保島、南側の島は万松塢(ばんしょうう)という。

中島には東岸から楓橋、北岸から土橋が架かる。
楓橋は欄干付の木橋。土橋は上に土を盛った木橋である。

上離宮には大きく浴龍池が広がり,それを眼下に見下ろすところに,隣雲亭が建っています。

クラブツーリズムのお勧めツアーはこちら!

修学院離宮へのアクセス、行き方歩き方

住所:京都市左京区修学院
電話:075-211-1215

叡山電鉄 修学院駅から 徒歩20分
市バス 修学院離宮道から 徒歩15分