勝海舟寓居跡 平家の供養塔

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わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。
清盛が描いた夢の跡をたどってみた。
今回は元暦元年の五輪塔平家の供養塔がある 勝海舟寓居跡

神戸の祇園町にある勝海舟寓居跡の隣にあったのがこの元暦元年の五輪塔、平家の供養塔との案内板。

門前の案内板には清水観音堂(室町時代~昭和13年)があった当時の山門とあります。
元暦元年は1184年、つまり源平合戦の一の谷の戦いがあった年です。 

そして一の谷の戦いでは源義経の鮮烈な功績によって平家方では大変多くの犠牲者を出しています。

一の谷で討たれた一門の御首は二月十二日には都へ入り、大路を渡され、獄門にかけられます。

1863年(文久3年)、神戸海軍操練所を開設した勝海舟が寓居(ぐうきょ:仮住まい)とした旧神戸村庄屋・生島四郎太夫の別邸跡。

門や庭園などは往時のまま保存されている。
塾頭の坂本竜馬も当地を訪れたと伝えられている。

かなり傷んではいるが建物は幕末のときのままに残っているが内部は見学できない。
貴重な歴史遺跡のひとつである。

後に神戸は東洋最大の港湾へと発展していくが、それを見越していた勝は付近の住民に土地の買占めを勧めたりもしている。

勝自身も土地を買っていたが、後に幕府に取り上げられてしまっている。

以前は勝海舟寓居跡の案内板が掛けられていたが現在はなぜかありません。
私も危うく見落とすところでしたが、祇園神社でお会いした地元の方から聞き及び引き返したところです。

貴重な文化財がこのようなことで一般の目に触れなくなってしまうことに危機感を感じます。
昔、このあたり(奥平野村)を東西に通る古代からの人道(古道街道)がありました。

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勝海舟寓居跡へのアクセス、行き方歩き方

住所:神戸市兵庫区五宮町26-9

三宮から市バス7系統「神戸駅前」行または神戸駅前から市バス9系統「兵庫駅前」行に乗り「平野」で下車。
祇園神社の階段下の路地を東に50mほど行ったところにある。