熊野御幸記を歩く③信太山~和泉橋本

いよいよこのシリーズも三回目、炎天下の7月21日、はじめから嫌な予感が。

今日のスタートは、放光池池公園、前回の終点、平松皇子のそば。

公園の側に「放光池石燈篭」があり、昔、船の航路案内をしていたいう。

公園を出て進路を南にとる。

ここは和泉市伯太町。

陸上自衛隊 信太山駐屯地。

自衛隊信太山駐屯地前に「小栗街道」道標があり、右に進む。

陸上自衛隊信太山駐屯地前からの古道は風情が楽しめる。

伯太高校前に熊野街道碑があり。

泉井上神社
境内に「和泉」という国名の元になった「泉」がわき出している井戸があります。
和泉国庁の近くにあるので、和泉の「総社」なっています。

「総社」というのは「この神社に参拝すれば、国中の神社全部を参拝したことになる」といわれる神社です。

都から赴任してくる国司の便宜を図るために国庁の近くにある神社が「総社」とされました。

井ノ口町、柳田橋手前に井ノ口王子跡がある。

久米田寺は奈良時代に僧行基が開鑿した久米田池を管理するために建立されたという伝説を持った寺院です。

戦乱で何度か荒廃して、その都度再建され、現在の建物は寺の所有になっていた古墳群を岸和田市に売って、新しく再建されたものです。

久米田池
大阪府で最大の面積を持つ池で、農業用水として水田をうるおすとともに風致地区に指定されるほどの美しい景観を景観を持つ池です。

久米田池の築造は奈良時代に遡ります。
僧行基が干ばつに悩む農民を救うために、橘諸兄の協力を得て築造したと言われていいます。

実はこの辺りから体調に異変が、頭がボーッとして足がふらつきます。
後で考えたらどうやら軽い熱中症にかかったようです。

久米田寺の裏へ出ると大きな前方後円墳がある。

橘諸兄(たちばなのもろえ)の墓と言われていますが、これは5世頃に築造された古墳で、橘諸兄は8世紀の人だから時代が合いません。

この付近には15基余りの円墳がありますが、すべて岸和田市が買収して「古墳公園」として整備されました。
付近は住宅や学校になっています。

積川(つみかわ)神社の鳥居
この鳥居は熊野古道に面しているので、街道を歩く人たちは、ここから2キロほど東にある積川神社を遙拝しました。

鳥居には白河天皇の宸筆で「正一位 積川大明神」と書かれた額(複製品)が掲げられています。

この辺りの地名も「額原町」といいます。

恋の淵
何故か、この辺りに和泉式部に関する伝説が多く残っています。

彼女は素敵な男性に会うと「恋の淵」で顔を洗い、恋心を燃やして男を追いかけ、やがて熱が冷めてくると、この近くにある「恋いざめの淵」で顔を洗って恋心を冷ました、という伝説が残っています。

そのまま歩いて右へ曲がり、さらに家の間を右へ入った所に「恋ざめの淵」の標識があります。

30号線で東貝塚駅を過ぎて次の交差点である半田北の交差点を左に入り、道なりに行くと半田一里塚がある。
熊野街道の一里塚の一つで原型がよく残っている。

もう頭の中は限界です。
恥じも外聞もなくリタイアを申し出たのですが、「このあたりに駅はありません、終点まで歩くしかありません」
冷たい鬼のような言葉が突き刺さります。

最後の気力を振り絞って橋を渡ります。

福永橋を渡ると長谷川ノ坂の上りとなります。

近木川を渡った古道は長谷川の坂へ差し掛かる。
江戸末期に疳医者として有名な長谷川屋敷があった事から坂の名がある。

きれいな坂道の古道、しかし、シャッターを押す気力はもうありません、この先はもう今日の終点JR和泉橋本駅だ。

夢遊病者のようにふらふらと駅を目指す。

帰りの電車の中で何人もの人から何度も止めようと思ったと聞いた、そうか皆しんどかったんだ。

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