山辺の道 雨中散策

梅雨の季節、山の辺の道を桜井から大神神社まで歩きました、カメラ片手の散策ですからなかなかはかどりません。

初瀬川と三輪山、もう少しガスっていたのですが撮影ポイントに着くまでにガスが少なくなってしまいました。

隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山 青幡(あおはた)の 忍阪(おしざか)の山は 走出(はしりで)の よろしき山の 出立(いでたち)の くわしき山ぞ 新しいき山の 荒れまくも惜しも
(作者不詳 巻12 三三三一)

(訳;初瀬の山も忍坂の山は、家から一走りしたところから見える美しく素晴らしい山である。
この素晴らしい山が、だんだんと荒れていくのは惜しい。
いつまでも美しい山であって欲しい)

隠国(こもりく)は、初瀬(泊瀬・はつせ)にかかる枕詞で、奥深い山間に隠れた地のことで、万葉の時代も歌に詠まれていました。

道端のノーゼンカズラ、すっかり雨に濡れています。

土塀の向こうにむくげが咲いていました、径に落ちた花びらが風情を誘う。

金谷の石仏、もと三輪山麓にあったが明治初年この地に移された。

小さなお堂仁収められた二体の石仏は右が釈迦如来、左が弥勒菩薩と推定される。
高さ2.2m、幅約80cm、厚さ21cmの2枚の粘板岩に
浮き彫りされている。

古くは貞観時代、新しくても鎌倉時代のものとされ国の重要文化財の指定をうけている。

この金谷の石仏は、貞観時代の石棺の蓋とみられています。
床下にも石棺が在ります。

「金屋の石仏」前には喜多美術館がある。
創設者、喜多才治郎 が収集した西洋近・現代美術を自宅を美術館にして1988年に開館したものでルノワ-ル、ゴッホ、ピカソ、佐伯祐三、須田国太郎、藤田嗣治、ユトリロ、、ウォーホル等を展示している。

現在はひなびた歴史古道「山の辺の道」沿いに立派な近代美術館があるのはちょっと驚きだ。

ヤマゴボウは中国原産の植物といわれ、栽培され、ときに野生化しています。
漢方では根を商陸と呼び、利尿薬とされます。

「蕎麦はまだ
  花でもてなす 山路かな」

   松尾芭蕉

ツルアジサイ、名前のようにつる性のアジサイ。
木や岩に気根と呼ばれる根を張り成長する。

まわりの木が葉を出す前に花を咲かせるので、撒きつかれた木に花が咲いたように見える。

カタツムリは古くから子供たちに親しまれていて、日本では多くの童歌や囃し文句などがあるほか、多くの呼称がある。

これらは柳田國男の『蝸牛考』にも方言周圏論の好例として多く採録され、でんでんむしなどその語源なども考察されている。

柳田によれば「でんでん」は「出ろ、出ろ」と子供がカタツムリを指して呼ぶ言葉が訛ったものではないかと推測している。
なお童謡の歌詞にある”ツノ出せヤリ出せ頭だせ”の”ヤリ”とは、交尾の際に出る生殖器や恋矢とする説もあるが、真偽のほどは不明である。

崇神天皇磯城瑞籬宮跡(すじんてんのうしきのみずがきのみやあと)の磐座。

崇神天皇はハツクニシラススメラミコトと呼ばれ初めて三輪山麓に王朝を確立した天皇ではないかと言われている。
その皇居跡といわれる。

磯城島の 大和の国に 人二人 ありとし思はば 何か嘆かむ  (巻13-3248)  作者不詳

(この大和の国に愛しいあなたが もし二人おいでになるならば何をあれこれ嘆くことがありましょう)

山裾を覆う静かな林の中を縫うように歩いていくと平等寺に至る。

もとは大神神社の神宮寺で聖徳太子の創建と伝える古刹だったが明治の廃仏毀釈で廃された。

明治10年翠松庵として再建され、昭和52年再び平等寺と改められた。

山門を入ったすぐ左手に万葉歌碑がある。

わが衣 色に染めなむ うま酒 三室の山は もみちしにけり  (巻7-1094)  柿本人麻呂歌集

(神を祀る三輪山の木々が美しく色づいたので私の衣をその色で染めましょう)

二重塔釈迦堂に向かって左側に十六羅漢像が並びます。
十六羅漢とは、釈迦の命により、この世に長くいて正法を守り、衆生(しゅじょう)を導く16人の大阿羅漢のことです。

何とも言えぬやさしげな顔。

天王社への道、三輪山の麓に都をおかれた第十代の崇神天皇を祀る。

大神神社、神武東征以前より先住豪族の崇敬が篤く皇室が外戚を結んだことから、族長によって磐座祭祀が営まれ日本最古の神社の一つで、神聖な信仰の場であったと考えられる。

旧来は大神大物主神社と呼ばれた。

境内の巳の神杉(みのかみすぎ)、江戸時代には、「雨降杉」とあり、雨乞いの時に里の人々が集まり、この杉にお詣りをした。

いつの時代からか、杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられるようになり、巳さんの好物とされる卵が、酒とともにお供えされています。

衣掛杉(ころもがけのすぎ)、謡曲「三輪」にでてくる玄賓僧都(げんぴんそうず)が女人に与えた衣が、掛かっていた杉と伝えられています。

女人とは三輪大神であり、このことに関係して、『古今和歌集』には、「我庵(わがいほ)は 三輪の山本 恋しくば とぶらいきませ 杉立てる門」という歌があり、三輪明神の神詠とされています。

現在、覆屋が作られて、周囲10メートルにおよぶ巨大な古株が残されています。

大神神社の拝殿前には巳の神杉が立っていますが、手水舎にも蛇が鎮座しています。
蛇が乗っている酒樽には大神神社の社紋である三ツ杉が見られます。

しるしの杉、三輪の大神のあらわれた杉、神の坐す杉とされていました。
しるしとは、示現のことで、当初、神杉として信仰されていたすべての杉のことを指していました。

この杉も覆屋が作られ、根本だけが残っています。

祓戸神社の前を奥に進むと、参道左側に「夫婦岩」がある。
これは、昔大和にそろって長命であった夫婦の古跡であるという。

二の鳥居をくぐり、奥に進むと参道の左側に「祓戸(はらへど)神社」が建っている。
色々な罪を祓い除く神様で、先ずここにお詣りし、身も心も清浄となり、ご神体を拝むのが正統な参拝様式になっているらしい。

帰途、道端でホタルブクロを見つける。

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