尾張名古屋は城で持つ 家康の居城

名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城。
「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」の異名を持つ。

昨年6月に訪問した時の記事天下人家康の究極の城 名古屋城がこちらにあります。
なるべく重複を避けて書いたつもりですので併せてお読みいただけるとありがたいです。

当時、築城名人として知られていた清正は、わずか3ヶ月で天守閣の石垣を積み上げている。

独特の弧を描く「扇の勾配」、地面付近は勾配がゆるく(だいたい30度くらい)、上にいくにしたがって勾配がきつくなる独特なもので、「武者返し(むしゃがえし)」や「清正流石組」などと呼ばれています。

花崗岩が使われた『刻銘石』。
刻まれた文字は、筑後藩主・田中忠政を指す、『田中筑後守石』。
重さは約2.5トン。

天守の石垣は加藤清正の分担。
クリックして拡大して見てください、天守台石垣の北東部に残る石には「加藤肥後守 内小代下総」と刻まれている。

御深井丸(おふけまる)は本丸の北西に位置し、本丸とは不明御門で連絡でき、本丸北側の御塩蔵構(おしおぐらがまえ)や西之丸とも狭い通路でつながっていた。

また御深井丸には、「乃木倉庫」と呼ばれる明治初期に建てられた旧日本陸軍の弾薬庫が現在でも残っている。

名古屋市内に現存する最古の煉瓦造といわれる倉庫で、太平洋戦争中は本丸御殿の障壁画などが収められていた。

乃木希典が名古屋鎮台に在任中に建てられたので、いつしかこの名が付いたといわれる。1997年(平成9年)に国の登録有形文化財に登録された。

乃木倉庫を囲むようにちょっとした池泉回遊式庭園があります。

庭園の脇に金城温古録の碑。

金城温古録(きんじょうおんころく)とは、江戸時代後期における名古屋城の諸施設や植生、城内の規制や慣習、手続きなど、有形無形の事柄を詳細にまとめた資料。

尾張藩はかねて個人的に古記録や古文書の収集を行っていた掃除中間頭本役・奥村得義(1793年 – 1862年)に対し、名古屋城詳細調査と古記録保存の藩命を下した。

この時の藩主は10代・徳川斉朝と思われる。
奥村は10年以上にわたって城内を隈なく調査、かつスケッチし、また各種手続き方や慣習などを書き留め、天保13年(1842年)から執筆を開始、万延元年(1860年)に前編に相当する4編31巻を完成させ、15代藩主・徳川茂徳に上程した。

これらは明治元年(1868年)に愛知県に接収され、後に尾張徳川家に払い下げられた。

本丸御殿は2009年(平成21年)1月19日に着工。
2013年(平成25年)5月29日より、玄関と表書院(謁見の場所)が一般公開されている。

内部の襖絵。

東南隅櫓(とうなんすみやぐら)は、名古屋城創建(1612年)当時の原形を伝える建物で、外観は2層だが、内部は3層となっている。
屋根は入母屋本瓦葺きで鬼瓦などには葵の紋がみられる貴重な重要文化財です。

名古屋能楽堂
名古屋城の前にあり、能楽鑑賞等にふさわしい日本建築様式の優美な外観、木の香漂う内装、総木曽檜造りの能舞台と地方自治体の能楽堂で最大の数となる630席の観客席数で広々とした見所が特徴。

展示室ではパネルや映像を利用して、初心者にも分かりやすく能楽の歴史や魅力、名古屋の能楽について解説しています。

天井の照明などにも配慮が利いています。

見所(けんしょ 客席)に続く廊下 幅は広い。
本日は公演の準備で部隊が見られず残念。

今日のお昼は能楽堂内の「お食事処 城」でいただきました。
メニューは「みそかつ御膳(きしめん付)」おいしかったですよ。

名古屋城へのアクセス、行き方歩き鷹

住所:愛知県名古屋市中区本丸1-1

名古屋市営地下鉄名城線市役所駅下車 7番出口より徒歩5分
名古屋市営地下鉄鶴舞線浅間町駅下車 1番出口より徒歩15分
名鉄瀬戸線東大手駅下車 徒歩15分

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