小出氏は九代、約100年間続きましたが後縦ぎがなく断絶し、元禄10年(1697)に武蔵国岩槻より松平忠徳(ただのり)が移封されました。
宝永3年(1706)に松平氏は、信州上田の仙石政明(せんごくまさあきら)と国替えとなりました。
仙石氏は七代にわたって出石藩を治めましたが、天保6年(1835)の仙石騒動により、三万石に減封され明治に至っています。
出石の伝統工芸である出石焼はこの江戸時代中期に始められ、また、特産の出石皿そばは、仙石氏が信州からそば職人を連れてきたのがはじまりとされています。
堀の周囲一帯は登城橋河川公園として整備されて、観光地となっている。
登城橋を渡ってまっすぐ進むと本丸西隅櫓、きれいな風景が広がる。
西の郭跡(二の丸西方にある曲輪)
出石城には天守はなく、櫓が四基上げられていた。
そのうち本丸西隅櫓と東隅櫓が現在復興されている。
有子山稲荷神社
出石城最上段の本丸のさらに一段高い場所にある曲輪稲荷郭に1604年の築城時から現在地に鎮座する城の鎮守。
城郭内にありながら、江戸時代から身分を問わず参詣が許可されていた。
城の麓から始まる石段の参道には、37基の鳥居が並び、157段上った右手に稲荷郭があり、その奥に社殿がある。
この稲荷郭からは出石の町並みを一望できるので、多くの人が訪れる。 石段をさらに登ると有子山城跡に至る。
稲荷郭の石垣の脇にユキノシタの花が咲き誇っていた。
本丸跡から町を見やると辰鼓楼が見える。
本丸西隅櫓
本丸に建つ感応殿(仙石秀久を祀る)
本丸の上に稲荷郭があります。
ここの高石垣が一番見事です。
本丸跡。
仙石騒動は文政七年(一八二四)江戸参勤の途中発病して急逝(きゅうせい)した藩主仙石政美(まさみつ)の後継(あとつぎ)をめぐって、主席家老(しゅせきかろう)仙石左京と老臣たちが九年間のながきにわたって対立し争った事件です。
これが幕府の知るところとなって天保六年(一八三五)左京以下三十一名の藩士は断罪され、仙石氏は五万八千石から三万石に減封(げんぽう)されました。
その後この騒動は講談や歌舞伎によって評判となり世に広く知られています。
「江戸時代の三大お家騒動」に分類されるお家騒動には仙石騒動のほかに加賀騒動、黒田騒動、伊達騒動の3つがあり、そのうちのどの3つを取り上げるかは諸説あるようです。
仙石左京の人となり
左京は財政再建のための役所のさまざまな費用を減らしましたが、藩の学校である弘道館の予算は少しも削らなかったようです。
また藩士の俸禄を借り上げる面扶持制を導入し人件費を大幅に抑えた際も、武芸師範の手当は減らしませんでした。
このように左京は緊縮財政を敷きながらも、将来への投資については堅持したようです。
ちなみに1835年(天保6年)に仙石騒動の裁定が下って、左京らの家財を差し押さえに行った役人の報告でも「武具だけは相当あったが、衣服や道具類はなく、身分の高い家にしては質素なのに驚いた。」
とあり、藩の乗っ取りを画策するような人物とは思えません。
消火栓には「辰鼓櫓」と美しい紅葉が描かれています。
マンホールの蓋には出石城三の丸大手門の櫓台に建設された出石観光のシンボル「辰鼓楼」がデザインされています。
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出石城へのアクセス、行き方歩き方
兵庫県豊岡市出石町内町
山陰本線および北近畿タンゴ鉄道 豊岡駅から全但バス「出石行き」で20分、終点下車、徒歩5分