上杉家菩提寺 春日山林泉寺

東北

上杉氏の本拠地があった春日山城(現在の新潟県上越市)の山麓に建立された林泉寺を元としている。

上杉氏の転封にともない謙信の遺骸、上杉氏関係の文書、重宝の大半が米沢に移された。林泉寺もこれに従って移転したとされる。
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林泉寺山門
現在の山門は、門東町にあった竹俣家(今の九里学園高等学校所住地)の門を明治35年に移転したものです。

家老竹俣当綱当時(1770年)、藩主上杉鷹山公がくぐられた門です。

関ヶ原の戦いの後に米沢に移った上杉景勝の実母(上杉謙信の姉、長尾政景の妻)仙洞院(仙桃院とも呼ばれる)が元和3年(1617年)に林泉寺14世・万安大悦を招聘して同号の寺を建立された。

米沢藩中興の祖と仰がれる十代鷹山公御手植えの桜といわれています。(樹令約200年)

林泉寺本堂の正面、堂内には 直江兼続公夫妻の位牌や謙信公直筆の書などが展示されています。
堂内は「撮影禁止」でしたので画像はありません。

本堂の前の池には水芭蕉が。

本堂裏手にある庭園は、禅寺らしい素朴さ、米沢三名園といわれている。

上杉家墓所へ向かう。

甘糟備後守景綱の墓 
上杉謙信・景勝に仕えた剛勇で名高き武将です。
上田長尾の家臣 登坂清高の嫡男ですが、謙信の命により甘糟を相続しています。

景勝の重臣として、越後の護摩堂城・五泉城・庄内酒田城の城主となり、慶長3年(1598年)には白石城(宮城県)の城主に任じられます。
慶長16年(1611年)62歳にて死去。

この穴だらけの塔は万年塔。
万年塔とは直江兼続が考案した、米沢藩独特の墓石です。

中がくりぬかれ、側面に穴があけられた長方形の石の上に、屋根をのせた形をしています。
これは有事の際には屋根を取り外してバリケードとし、また、洪水の際には土をつめて土嚢になるようにと考えられたものでした。

この万年塔は、現在も米沢のあちらこちらのお寺でみかけることができます。

ひときわ目立つ場所にあるのが直江兼続夫妻のお墓です。
夫婦の墓所としては珍しく、夫と妻が共に同じ大きさの墓となっています。

直江夫婦は仲睦まじかったと伝承にもあるように、長い時を経た現在も、二人は共に寄り添って眠っています。

この墓所は山形県指定史跡となっています。

仙洞院の墓
上杉謙信公の姉で、長尾政景に嫁して二代景勝(政景二男)を生みました。

慶長14年2月15日、米沢城二の丸において82才にて逝去しました。

越後、会津、米沢と激しい転封によって財政緊迫となっていましたが、米沢に林泉寺を建立することに尽力したことから、林泉寺中興開基と称しています。

お豊の方は30歳で10歳若い鷹山公の側室となり、養蚕の奨励をするなど江戸にいる正室に代わって鷹山公の藩政改革を支えた才気ある女性です。

領民に大変敬愛されていたそうです。
享年81歳・・仙洞院に負けず劣らずの大往生。

寺中の春日大明神は、上杉鷹山公(治憲)が御節倹の折、立志の誓詞を捧げられた由緒深いものです。

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春日山林泉寺へのアクセス、行き方歩き方

春日山林泉寺公式サイト

住所:山形県米沢市林泉寺1-2-3
電話:0238-23-0601

JR山形新幹線米沢駅から市民バス循環右回りで14分、山大前下車、徒歩10分