小野妹子神社 外交・華道の始祖

小野神社小野道風神社 に引き続き小野妹子神社を紹介する。
遣隋使としての妹子は有名だが、華道の創設者としての側面はあまり知られていない。
今も、華道家元「池の坊」によって免許の授与が受け継がれている。

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推古朝の廷臣、妹子は遣隋使として外国に行かれた先駆者である。
西暦六〇七年聖徳太子が中国の隋朝と外交を開くに当り、遣隋使となり国書をもって渡海する。

小野道風神社から南へ約600m、小野駅の北西約400mの所に小高い丘陵がある。
現在では住宅地びわこローズタウンになっている真中に位置し 小野妹子公園として整備されているが、これが小野妹子の墓と伝えられる「唐臼山古墳」である。
鬱蒼と木立が生い茂る丘の上に妹子を祀る「小野妹子神社」があり、その奥に古墳がある。

妹子は、推古朝の廷臣、「日出ずる国の天子 日没する国の天子に書をいたす」と記された国書を携え、遣隋使となって渡海した。

聖徳太子の教えに従って出家し、太子沐浴の池の隣にお堂(後の池坊)を建てて仏像に毎日お花を供えているうちに生け花が上達、これが子孫に受け継がれ池坊流華道に発展したという。

唐臼山古墳(からうすやまこふん)
小高い丘陵の頂上広場に建つ小野妹子神社の背後の木々の間に、巨大な破損した石室が露出した状態で見られます。

大阪府南河内郡太子町(たいしちょう)の、科長神社 (しながじんじゃ)南側の塚にも祭られており、小野妹子の墓が二つある事については、色々な説があり、 確定は出来ませんが、今後の研究の課題。

丘陵上に展望所があり、琵琶湖を一望することができます。
対岸の近江富士(三上山)や右手の琵琶湖大橋が美しく見渡せます。

墳墓から北を望むと、比良の山

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小野妹子神社へのアクセス、行き方歩き方

住所:滋賀郡志賀町小野水明町

JR湖西線小野駅下車 徒歩10分