秋の円教寺

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書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝えられる。

もとは素盞嗚命が山頂に降り立ち、一宿したという故事により、「素盞ノ杣」といわれ、性空入山以前よりその地に祠が祀られていたといわれる。

山号の由来はこの「素盞(すさ)」からのものといわれ、姫路市と合併する以前は、飾磨郡曽左村と呼ばれていたが、この「曽左(そさ)」も素盞に由来する。

湯屋橋: 湯屋橋摩耶殿の前面にある石橋で橋脚や、床版、欄干などが石造、宝珠が銅製となっている。

元和6年(1620)、姫路藩主となった本多忠政は円教寺に帰依し、大破していた湯屋橋を修築しています。

湯屋橋には「奉寄進 播州飾西郡書寫山圓教寺御石橋 願主 本多美濃守忠政」の銘が刻まれています。

護法石(弁慶のお手玉石) – 摩尼殿の手前にある直径約1 mの2つの石で、不動明王の化身である乙天(おつてん)と毘沙門天の化身である若天(わかてん)の2童子が降り立ったと伝えられる。

また、弁慶がお手玉にしたともいわれる。

武蔵坊弁慶は、一時期、書写山で修行したとされており、机などゆかりの品も伝えられ公開されている。
ただし史実である確証はない。

小さなお地蔵が沢山並んでいてかわいい。

突然視界に現れ、圧倒される摩尼殿。

円教寺は、本尊は如意輪観世音菩薩(如意輪観音)。
西国三十三所第27番。

現住職は第140世。
宗教法人としての名称は常用漢字体の「円教寺」である。

西国三十三所のうち最大規模の寺院で、「西の比叡山」と呼ばれるほど寺格は高く、中世には、比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称された巨刹である。

京都から遠い土地にありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かった。

秋空に映える摩尼殿。

摩尼殿から見下ろす、葉月茶屋は山内唯一の食堂。

樹間のうっそうとした道を三つの堂へ向かう。

左より常行堂・食堂・大講堂。

この大講堂・食堂・常行堂がコの字型に並び、三つのお堂を総称して「三之堂(みつのどう)」。

見事に掃き清められた、コの字の真中に当たる空間部分は大きな伽藍3つに囲まれ、何か世界が違うような…不思議な静寂を生み出しています。

そしてそのシーンのロケ地がこの圓教寺の常行堂。最初、圓教寺はロケ地の予定になかったそうですが、姫路城を視察に来たスタッフが時間が余ったためこの圓教寺を訪れ、エドワード・ズウィック監督が一目ぼれしてここでの撮影を決めたそうです。

護法堂

開山堂(重要文化財) – 宝形造(方形造)、本瓦葺、桁行5間、梁間6間。

開山の性空を祀る。寺記によれば、性空が没した寛弘4年(1007年)、性空の高弟・延照が創建したとするが、現在の堂は江戸時代初期、寛文11年(1671年)に再建されたものである。

軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。

奥の院から摩尼殿へ向かう、樹齢700年の大杉などもあり、深い樹林を進む。

ロープウエイ三条駅へ向かう。

山上駅から仁王門へ至る参道は「西国巡礼の道」と称され、左右に、西国三十三所の各札所本尊を表した銅像が設置されている(1989年完成)。仁王門を通り、寿量院、圓教寺会館、十妙院を過ぎると、参道は「権現坂」と称する下りの階段になり、下りきったところが摩尼殿の縁下である。

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