村上水軍 因島水軍城

昭和58年、水軍のふるさと因島に築城された、全国でもめずらしい城型資料館。

村上水軍は南北朝から室町戦国時代にかけて、この辺りの海路を制覇し、水軍王国として活躍しました。

この因島水軍城は、金蓮寺の住職が、因島村上水軍の資料館と因島を代表する観光地を作ろうと構想したもので、昭和58年(1983年)に完成。

金蓮寺の北にある小高い山の上にあり、資料館は城の形をしています。

この外観は歴史家の奈良本辰也氏が監修したもので、本丸は水軍資料館、二の丸は展示室、隅櫓は展望台となっています。

「黒潮に 男ありけむ 八幡船」入り口には勇ましい碑が建つ。

八幡大菩薩の旗を掲げ、朝鮮半島から中国、東南アジアまでその名をとどろかせました。

因島、能島、来島にあった村上三家は、14世紀に因島を支配した村上師清が祖になっているとも言われ、因島には24の城があったそうです。

因島水軍城がある場所は、片刈城の家老の居宅跡と言われています。

城の向かい側にある山にも青陰城があり、海を見張るために、島中に城や見張所があったことがわかります。

水軍資料館でまず目に留まるのは、戦国時代末期に水軍で使われていた大阿武船の模型。

排水量は200トンを越える巨大なもの。
また、上の文字が書かれた上り旗は、「上」の漢字の左側下が撥ねられているのが因島村上水軍の証。旗の上部にある横線が少ないほど位が高い印です。

手火防台から見える金蓮寺の本堂裏、ここには村上水軍の墓地があります。

この寺は村上氏の菩提寺で、以前は外浦の谷間にあったものを現在の場所に移し、同時に因島各地にあった石塔類を裏山に集めたと伝わっています。

墓銘は読めなくなっていますが、歴史を感じる宝篋印塔や五輪塔が立ち並びます。

二の丸では、人形を使って再現した水軍戦法会議が展示されていて、勇姿を見ることができます。

こちらの盃状穴石は、元重井町一本松にあったもの。

盃状穴とは、人が何らかの目的で石等の道具を使って彫った盃状の穴で当時の風俗等を知ることができる貴重な民俗資料です。

外国の先史時代の墓にあるのが古く、日本では山口県の弥生時代前期の墓にあるのが最初の発見です。

女性を表現し、最初は再生を願って墓に彫り、後には子宝・安産・豊作を願うものに変わったと考えられます。

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因島水軍城へのアクセス、行き方歩き方

広島県尾道市因島中庄町3228-2

本州方面から-しまなみ海道「因島北IC」から約5分
四国方面から-しまなみ海道「因島南IC」から約10分

JR山陽本線尾道駅から因島土生港行きバスで約37分「要橋」乗換、島内路線バス大浜行き約8分「水軍城入口」下車、徒歩約10分

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