豊後佐伯城

九州
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関ヶ原の戦いにおいて、徳川方(東軍)に与したことにより毛利高政は佐伯2万石を与えられた。

しかし佐伯氏の旧居城・栂牟礼城(とがむれじょう)は険阻な山城で、平時の統治には不便であったため、高政は栂牟礼城を廃して番匠川河口近くの八幡山に新たに山城を築いた。

三の丸櫓門(大分県有形文化財)

縄張は織田信長の元家臣で安土築城にあたった市田祐定、石垣は天正期姫路城の石垣施工を指揮した石垣師の羽山勘左衛門が担当した。

城山頂上までの道のりには、独歩碑の道、登城の道、翠明の道、若宮の道と、4つの登山道があり、それぞれ四季折々の風景が楽しめる。

山頂からは、遠く四国の山々まで眺望でき、登る人が後をたたない。

三之丸上にある登城道。
ここから比高130mを登った先に本丸がある。

二之丸との間にある石垣堀切に架かる橋。

西出丸跡からの眺望。

登城の道を上ったところが江戸時代初期の佐伯城で、城山の山頂部分に長さ約160m、幅25~50m程の細長い城郭でした。

角隅部が円いので、明治以降に石垣が改変されたのかと思いきや、江戸中期の補修時にこのような形になったとのことです。

本丸下の曲輪から見た佐伯市街。
遠くの海もよく見えて、なかなかいい眺望である。

本丸の入口、立派な階段が続いていますが、当時の佐伯城を描いた絵図ではこの階段は描かれていないので、後世に造られたものでしょうか。

本丸跡、天守は、3重で本丸の北よりに建てられていた、壇上に天守台の祠と鳥居が見える。

本丸から、北之丸の櫓門跡を見たところ、わりと小さな門であったようだ。

近世城郭としては虎口が小さく、人一人が通るのがやっとという虎口が多い。

総石垣である、本丸を中心に、南北に長く連郭式に配し、本丸南に二の丸、西出丸、本丸北に北出丸、捨曲輪を配置している。

これに3代高尚の時に麓の三の丸を加えた。

3重の天守があった本丸と本丸外曲輪を中心に二重櫓5基、平櫓1基、城門7棟などが建てならべられた。
本丸と二の丸は堀切で遮断され、当時は廊下橋が渡されていた。

西の丸~二の丸間の城門跡の石垣。

どの曲輪からも見晴らしが良いお城でした。

尚、佐伯毛利氏は初め「森」姓を名乗っていて、萩毛利氏とは血縁関係にはない。

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豊後佐伯城へのアクセス、行き方歩き方

佐伯市大手町1-1-1(三の丸櫓門)

JR・佐伯駅から徒歩20分
佐伯駅前の観光案内所に無料レンタサイクルあり