ふるさとは遠きにありて・・・室生犀星旧居を訪ねる

室生犀星はこの別荘を昭和6年に建て、亡くなる昭和36年までの毎夏この地で過ごした。

軽井沢会テニスコートの少し先に室生犀星記念館がある。

昭和6年に犀星が建て別荘を改修したもので、犀星は亡くなる前年の昭和36年まで毎夏をここで過ごし、堀辰雄、立原道造、川端康成、志賀直哉など、多くの作家と交流があった家という。

木戸の門をくぐるとると苔が庭一面に生えた、みごとな庭内をみることが出来る。

1889年、加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とハルという名の女性の間に私生児として生まれた。

生後まもなく、生家近くの、真言宗寺院雨宝院住職室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生児として照道の名で戸籍に登録された。

住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、この際室生照道を名乗ることになった。

私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。

「お前は妾の子だ」と揶揄された犀星は、

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

と50歳を過ぎた後も、を引きずっていたことを示しています。

抒情小曲集の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」の詩句が有名である。

この句の通り、文壇に盛名を得た以後も金沢にはほとんど戻らず、代わりに犀川の写真を貼っていたという。

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室生犀星旧居へのアクセス、行き方歩き方

北佐久郡軽井沢町軽井沢884
0267-45-8695 (軽井沢町教育委員会)

JR長野新幹線軽井沢駅から草軽交通旧軽井沢方面行きバスで4分、旧軽井沢下車、徒歩15分

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