粟嶋明神は、古来より婦人の守護神とされ、婦人病の平癒や安産祈願にご利益があるとして、粟嶋堂は女性参拝者を集めてきた。
特に、江戸時代には粟嶋明神の霊験は広く伝わり、第百十九代・光格天皇や百二十一代・孝明天皇は度々代参させていたと伝わり、歴代后妃や文人画家・富岡鉄斎も参詣しているということです。
また俳人・与謝蕪村も、娘の病気回復祈願のためにこの地を訪れ、一心にお百度参りをしている女の姿を見て、「粟嶋へはだしまいりや春の雨」という句を残しています。
JR京都駅から西へ徒歩約10分、下京区岩上通塩小路上ル三軒替地町にある宗徳寺(そうとくじ)は、境内の一堂に、淡島神社(和歌山県和歌山市加太 三月の「雛流しの人形供養神事」でも知られる全国の粟嶋・淡島・淡路神社の総本社)より勧請した粟嶋明神を祀ることから「粟嶋堂」の名前で親しまれています。
現在は水子供養や人形供養で有名で、境内には奉納された多くの人形が安置されていて印象的です。
南慶和尚が粟嶋明神を勧請して上洛する際には、当地辺りで急に御神体が重くなったのを、これは御神意だとしてこの地に祀ったと伝えられ、以来、粟嶋神社は宗徳寺の鎮守社として祀られてきました。
その後、明治時代の神仏分離令により粟嶋堂と改称しました。
人形供養
境内にはガラスケース内に全国から寄せられた人形が納められている。
これらは、毎月のお火焚きにより供養されている。
蕪村の句碑
娘の病気平癒祈願に訪れた与謝蕪村が詠んだ句。
「粟嶋へ はだしまゐりや 春の雨」
人形癒やしの石碑
境内には人形塚も建立してあります。
碑面の文字は、「人形 癒やしの 石碑(いしぶみ)」と刻んでありました。
北側のもう一つの門前には、柱部分に「粟島堂」と彫った古風な燈篭が建っています。
淡嶋神社の祭神少彦名命(すくなひこなのみこと)は医薬の神様であり、特に女性の病気快復や安産・子授けなどに霊験あらたかと伝えられています。
また、スクナヒコナ祭が簡略化されてヒナ祭となり、これが雛祭の語源であるとする説も唱えられた結果、紀州徳川家の姫君たちが幼時に使用した多くの雛人形が奉納されました。
やがて民間でも不要になった人形を淡嶋神社に納め、3月3日に舟に載せて、「雛流しの人形供養神事」を催行するようになりました。
粟嶋堂宗徳寺へのアクセス、行き方歩き方
住所:京都市下京区岩上通塩小路上ル三軒替地町124
電話:075-371-2332
JR京都駅徒歩10分 市バス下京区総合庁舎前(オムロン前)徒歩6分