萬福寺界隈

萬福寺を訪れたことは以前の記事の通りだがその時の町の印象などを記しておきたい。

これは京阪電車「黄檗駅」に掲げられているプレートだが歴史が古いことを説明している。
しかし、書かれている「こまかげ」に関する案内板板等は残念ながら見かけなかった。

まず萬福寺に参る入り口に当たる商店街がなんと、廃墟マーケットと化している。
数件の商店が営業しているのみでマーケットの中ほどは年老いた老婆が店番をする店のみ。

マーケットの入り口の側の駐車場で、お昼をいただいた後に、この画像を撮影していたときのこと、「あんたら誰に断わって撮影してんのや」とすごまれた。

「日本のカメラマンの行儀の悪いことは世界中で有名やで」・・・・何言ってるのかわけわからん。
風景撮影のどこが悪いんや。

怒鳴り返したいのを我慢。
あきれた人もいるもんだ。

それと結びつけてはどうかと思うが当日、萬福寺には夫人の団体が訪れていた、彼女たちはお昼前にもかかわらず、食事もせず、黄檗の地を立ち去った。

萬福寺境内の北西に塔頭・宝善院(ほうぜんじ)がある。
「守本尊干支の寺」とも呼ばれている。
黄檗宗。本尊は釈迦牟尼仏。

出世地蔵尊の由来                                
この地蔵尊は昭和35年龍光院の寿塔修理の際、崖の土中から転がる如くに御姿を現されたことから 「出世地蔵」と申し上げ親しみ深い菩薩さまとして 大切に祀られています。

当時専門家に依る鑑定の結果 千年以上経た石佛であることが証明されました。
説明板より。

宝善院は江戸時代の寛文9年(1669年)、鉄眼道光の僧坊として創建されました。

鉄眼道光は肥後国に生まれ、出家して浄土真宗の僧となります。
しかし、承応3年(1654年)、長崎興福寺に隠元隆琦が来日すると、そのもとへ参禅しました。

やがて萬福寺の開山とともにここへ移ると、隠元が明から持ち込んだ大蔵経(一切経)の布教をめざし、印刷を志します。

寛文9年(1669年)、隠元から大蔵経を預かった鉄眼は、宝蔵院において版木の制作を開始。
延宝6年(1678年)に完成。初版は庇護者であった後水尾法皇に献上されました。

鉄眼の指示により作られた一切経の版木は6万点にも及び、「鉄眼一切経版木」と呼ばれ国の重要文化財に指定、現在もこの寺が所有しています。

吉野桜から作られた版木には縦に20文字、横に10文字の枠が左右に2つ並んだ形態で、400字詰め原稿用紙のもとになったといわれます。

また、文字は明で好まれた明朝体で彫られており、こんにちパソコンやワープロで明朝体が日本で最も使われる由来となったといいます。

宇治市観光協会、宇治商工会議所、宇治十三社寺まいり協議会が主催して、「宇治十三社寺まいり」が例年春に行われる。そ

の十三社寺の12番目にあるのが、財運のご利益があるとされる萬松院であり、萬(万)福寺のすぐ隣にある。

萬松院開山堂。

萬福寺への参道で見かけたネコ、声をかけると振り向いてくれました。

昼食後の不愉快な気分を癒してくれた喫茶店「ねこまたぎ」

店内では赤い目の猫のしっぽから、釣鐘式にぶら下がるタイプのガレ風テーブルランプが目を引いた。

店主は年に何度かヨーロッパを旅するそうだが、その折に求めた品々が店内狭しと飾り立てやれている。

おいしいコーヒーをいただき先ほどの不愉快な気分も吹っ飛んでしまった。

店の前は自衛隊宇治駐屯所、旧宇治火薬製造所給水塔がそびえています。

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