粉河寺(こかわでら)は、和歌山県紀の川市粉河にある粉河観音宗の総本山の寺院。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。
伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされる。
中門(重要文化財) – 入母屋造、本瓦葺きの楼門。
左右の間に四天王像を安置する。
棟札によれば明和年間(1764年 – 1772年)から長い年月をかけて天保3年(1832年)に完成。
扁額「風猛山」は紀州藩第10代藩主徳川治宝の筆。
紀州青石
和歌山城築城当初の石垣には、紀州特産の「青石」が多く使われている。
緑色を呈するため緑泥片岩とも呼ばれ、古来から紀州では石垣、門柱、庭石、石碑、石畳など広く用いられている。
青石の産地は中央構造線の南、西南日本外帯に分布し、東は三重県から西は愛媛県に至り、伊勢青石、紀州青石、阿波青石、伊予青石がブランド石となっている。
粉河寺は平安時代には朝廷や貴族の保護を得て栄えたことは確かである。
清少納言の『枕草子』194段には「寺は壺坂、笠置、法輪(中略)石山、粉川、志賀」とあり、『梁塵秘抄』に載せる今様には、「観音験(しるし)を見する寺、清水、石山、長谷の御山、粉河(後略)」とある。
盥漱盤とはいわゆる「手水(ちょうず)鉢」のことで、寺社に立ち入る前に手や口を清めるためのものである。
「盥」は「たらい」、「漱」は「うがい」を表します。
かつて粉河の地域の鋳物産業は活発で、粉河鋳物と呼ばれるほどであった。
この盥漱盤は安永4年(1775)粉河鋳物師蜂屋薩摩掾五代目源正勝の作品で、粉河鋳物の代表的作品であると言われている。
太子堂
鎌倉時代には天台宗の寺院として550か坊もの子院を持ち、大勢の僧兵を擁し、寺領は4万石もあって広大な荘園を持ち、根来寺や金剛峯寺と比肩しうる大寺院であった。
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