歴史を訪ねる旅

北海道

北方領土を望む納沙布岬

1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、1945年8月28日から9月5日にかけて赤軍(ソ連軍)は北方領土に上陸し占領した。北方領土は現在に至るまでソ連およびそれを継承したロシアが実効支配を継続している。日本...
北海道

鰊漁の盛衰に伴って、天国も地獄も経験した江差

江戸時代はニシンの漁場および北前船によるヒノキアスナロなどの交易港で、「江差の五月は江戸にもない」といわれるほど栄えた。町名の由来はアイヌ語で岬を意味する地名エサシ (esasi) であり、宗谷総合振興局の枝幸町と同じ語源である。放送局の天...
北海道

土方歳三最期の地 函館の街を彷徨う

新撰組土方歳三の最期の地は、諸説いろいろありますが、有力なのが一本木関門のあった若松町とされています。一本木関門は、当時の函館市街の端にあたり、旧幕府軍が通行税をとるために設けた関門でした。復元された一本木関門が隣に立つ土方ファンの聖地。弔...
東北

藤原三代栄華の跡 中尊寺

中尊寺は天台宗の東北大本山。創建は嘉祥3年(850)に慈覚大師円仁によって開山されたとされる。その後奥州藤原氏初代の清衡が長治2年(1105)から中尊寺の再建に着手し、天治元年(1124)に金色堂が竣工、基本的な伽藍が完成したのは21年後の...
東北

平安の風わたる公園

平泉文化の基となった後三年合戦。後三年合戦の際の古戦場である西沼を中心に平成3年に作られた歴史公園です。源義家が金沢の柵に向かう途中、この沼を通った際に、飛んでいた雁が突然列を乱したことから、敵の伏兵がいることを察知し、難を逃れたといわれる...
東北

戊辰戦争最大の悲劇 飯盛山の白虎隊

会津領母成峠を急襲し、勝利した西軍はその勢いを駆って、会津盆地へ殺到してきた。最後の防衛線十六橋が破られれば、城下への侵攻は時間の問題である。直ちに藩主松平容保らが対策会議を開いた結果、急遽、猛将佐川官兵衛が十六橋防衛の総督に任命され、鮎川...
東北

日本の霊場 山寺(立石寺)

立石寺(りっしゃくじ)は、山寺(やまでら)の通称で知られ、古来、悪縁切り寺として信仰を集める寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。蔵王国定公園に指定されている。平泉中尊寺・毛越寺、松島瑞巌寺とともに「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している...
沖縄

首里金城町石畳道散策

首里金城町石畳道は、首里城から国場川の真玉橋に至る長さ4km総延長10kmの官道であった真珠道の一部で、琉球王国尚真王の治世である1522年にその建造が始まった。第二次世界大戦の沖縄戦で真珠道の大半は破壊されたが、金城町に現存する238mの...
沖縄

王家の陵墓 玉陵(たまうどぅん)

玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。所在地は沖縄県那覇市首里金城町。そもそもは第3代尚真王(在位1477年 – 1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産...
沖縄

斎場御嶽 霊位の高い聖なる場所

沖縄には、御嶽(ウタキ)拝所(ウガンジュ)とか呼ばれている神聖な場所がいたる所にありますが、 その中でも、一番格式の高い斎場御嶽(せーふぁーうたき)。  沖縄の始祖と言われるアマミキヨが造った七御嶽のひとつと言われ、域内には六つの神域があり...
九州

ここは穴場だ! 普光寺の磨崖仏

大分県は日本最大の磨崖仏の宝庫、全国の磨崖仏の8割近くが集中していると言われているというのだから驚きです。その歴史は古く平安時代から室町時代にかけて彫られたものが多く国東半島、臼杵地方、豊後大野地方に集中しています。普光寺(ふこうじ)は、大...
奈良県

梅雨の晴れ間に大仏殿界隈の散策

今年の梅雨は空梅雨かいなと思わせるような天候が続く。少し曇り空だがかんかん照りでなく過ごしやすい。近鉄奈良駅の銅像は庶民の味方行基さん。庶民派の行基が中心になって、東大寺は建立されたのだ。さらに、東大寺建立を思い立った聖武天皇は、行基ら優婆...