歴史を訪ねる旅

京都府

「菅公御産湯の井」の残る菅原院天満宮神社

菅原院天満宮神社は、地下鉄「丸太町駅」を出て烏丸通(西側)を北へ徒歩3分ほど。京都御苑の下立売御門の向かい側にある。この地は、菅原道真の曽祖父・菅原古人(ふるひと)の邸宅「菅原院」であったところ。道真没後は、菩提を弔うために広大な寺院(観喜...
兵庫県

悲劇の幼帝安徳帝内裏跡伝説地

安徳天皇は平清盛の娘、建礼門院徳子を母として生まれ、壇の浦の戦いで平家滅亡とともに祖母二位尼に抱かれて海に身を投じた悲劇の幼帝それは山陽電鉄のガードをくぐり歩きづらい急な坂道を登りきったところにある。東西を深い谷に刻まれ、鉄拐山の急斜面に守...
兵庫県

現光寺 光源氏がわび住まいの地

源氏物語ゆかりの地、光源氏がわび住まいをしていたとされた地を訪ねてみる『源氏物語』で「海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり」(海岸から少し入り込んでいて、身にしみるほど寂しい山中である)と描写されたこの地に寺院が建てられたのは15...
京都府

静御前と源義経の出会いの場 神泉苑

義経は、舞を舞う白拍子の静の美しさが忘れられず、その夜、堀川の館へ静を呼び宴を開いた延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。当初の敷地は二条通りから三条通りまで、南北約500メー...
兵庫県

七宮神社 清盛が経ケ島築造工事進捗を願い建立

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛清盛が描いた夢の跡をたどってみた。今回は清盛が経ケ島築造工事進捗を願い建立したという七宮神社。平清盛が経ケ島築造の工事がなかなか進まないのを不審に思い、調べたところ、築造に必要な土砂を取っていた塩...
京都府

冬の洛北 大原の散策 寂光院

寂光院は山号を清香山と称する寺号は玉泉寺。本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は聖徳太子と伝える。平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られる。草生を見渡すことのできる寂光院の東の背後の高台に、建礼門院...
東海

信康山 清瀧寺

徳川家康が、織田信長に処断を迫られ自ら切腹を命じた嫡男松平信康のために建立した寺信康は信長の娘徳姫と結婚したが、謀反の嫌疑をかけられ22歳の若さで政略の犠牲となった。境内奥に信康廟があります。清瀧寺山門。清瀧寺(浄土宗)は、京都の知恩院の末...
四国

耕して天に至る 日本のマチュピチュ 遊子水荷浦

土佐久礼で朝日の撮影を終え、四万十川を一路西へ。最後の訪問地、遊子水荷浦へは4時間強の遠距離です。旅行社もあまりの長距離に企画を却下したという、この撮影行は写真家竹下氏の熱意で実現した。トイレ休憩の地、「道の駅 四万十 とおわ」川霧の見事さ...
兵庫県

村上帝社 謡曲「絃上」(げんじょう)(玄象)伝説の地

明帝として仰がれるとともに、和歌や楽曲などの文化振興にも努められた村上天皇を祀る后妃は陽気な嫉妬で有名な中宮安子の陽気な嫉妬 後宮のわわしい女気づかずに通り過ぎてしまいそうな小さなお社です。平安時代末期、琵琶の名人であった藤原師長は唐に渡っ...
兵庫県

鎮守稲荷神社 平経俊の五輪塔

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛清盛が描いた夢の跡をたどってみた。今回は平経俊の五輪塔のある鎮守稲荷神社。JR神戸駅から国道2号線沿いに西へ5分ほど歩いたところに、地元の人々から「ちぢみさん」の愛称で親しまれている鎮守稲荷神社が...
兵庫県

東福寺 清盛寄進の七堂伽藍

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛清盛が描いた夢の跡をたどってみた。今回はかって清盛が七堂伽藍を寄進したという東福寺。東福寺は平野地区では最も古い寺である平清盛は福原遷都で雪御所を造営する際に雪御所が完成するまで祇園神社の裏山(現...
兵庫県

氷室神社 平通盛 小宰相惜別の地

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛清盛が描いた夢の跡をたどってみた。今回は平通盛 小宰相惜別の地 氷室神社。平安時代の末期、付近には、清盛の異母弟である平教盛(たいらののりもり)の山荘があり、これが後白河法皇が幽閉された萱御所だと...