東海 長篠の合戦って正確には設楽原の合戦じゃないの 正確には設楽原の合戦だが、徳川方の長篠籠城に続いて行われた戦闘だから、長篠合戦の名で呼ばれる。徳川方が参加している戦争はすべて徳川幕府の記録本位で名がつけられている。その意味でも権力者の歴史である。いつの場合でも勝った側が歴史書を残すケース... 2014.09.03 東海
大阪府 現存12天守 佐幕派の城が破壊されたというのは大嘘 現存天守はいかにして生き残ったか戦国時代には日本には3~5万もの城があった。天守を備えた城も多かったが、現在残る天守はわずか12だけ。現存天守の残る 国宝 松本城なお、廃城令の際、藩主が佐幕派だったので城を破壊されたという伝説が各地にある。... 2014.08.23 大阪府
大阪府 祟りを恐れる一方で・・・・ 戦国武将は神仏や神秘的な威力に頼るものが非常に多い。上杉謙信の春日山城には毘沙門堂があります。謙信は合戦の前には護摩を焚いて勝利を祈願したという。謙信が戦の前にこもったと言われる毘沙門堂毘沙門堂(復元)この毘沙門堂は昭和6年に復元されたもの... 2014.08.21 大阪府
甲信越 信玄出生地 積翠寺 積翠寺は甲府市街地を形成する相川扇状地の頂部、甲府駅の北約4キロの標高約540〜700メートル、国の史跡に指定されている要害山城の麓に位置している積翠寺近在の要害山城は、『高白斎記』に記される武田信玄生誕の地でもあり、現在も同寺院には信玄の... 2014.07.27 甲信越
甲信越 わずか60日あまりで捨てられた新府城 新府城は勝頼が築城し、甲斐武田氏の城郭技術の集大成と評価される崖端城。一般には、武田氏は次々に領土を減らしていく一方になり、信玄の「人は城」という伝説(『甲陽軍鑑』『名将名言録』)を理念にできるほどの余力はなかったとされる。しかし、新府城は... 2014.07.24 甲信越
東北 上杉鷹山のすごさを感じる 米沢城址 米沢城は、伊達氏、上杉氏の居城で、松岬城、舞鶴城とも呼ばれた。米沢城の起源は、暦仁元年(1238)に地頭長井時広が築城したと伝えられるが、判然としない。城は米沢市街地のほぼ中心に位置する。戦国時代後期には伊達氏の本拠地が置かれ、伊達政宗の出... 2014.04.29 東北
東北 桜まとう天守閣 白石城は桜満開 今日から南東北の名城巡りです。まず仙台藩伊達氏の支城として用いられ、片倉氏が代々居住した白石城からスタートです。仙台行ANA733便に搭乗、今回は内陸よりの飛行コースをとったため富士を見ることができた。機内からガラス過ごしの撮影のため鮮明で... 2014.04.21 東北
京都府 淀殿ゆかりの 淀古城跡 淀古城は、徳川幕府が築城した淀城の東北、500m程のところにあります。江戸時代に築城された淀城と淀殿ゆかりの淀城は別で場所もそれぞれ異なります。区別して淀殿ゆかりの淀城は『淀古城』と呼ばれますが遺構はなく妙教寺に石碑が建ち唯一往時を偲ばせま... 2014.03.18 京都府
北陸 ササラ峠越えのエピソードを残す 富山城 本能寺の変後、越中に居た佐々成政は徳川家康の決起を促すため富山から雪の立山を徒歩で超え浜松に行きます。佐々成政の努力に係わらず徳川家康は動かず、佐々成政はまた立山越えをして富山に帰ります。この立山越えが「雪のささら峠越え」と言い有名な話です... 2013.12.06 北陸
甲信越 諏訪の浮城 高島城 別名島崎城。城郭の形式は連郭式平城である。かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに... 2013.10.24 甲信越
大阪府 灯りに浮かぶ天守閣 大阪城城灯りの景 大阪城城灯りの景を夕涼みを兼ねてのぞいてみた。約2万個のろうそくとライトアップで幻想的な空間を作り出していた。灯りが目立つようになるまでもう少し時間があるのでゆっくりと城内を一周してみた。極楽橋を渡り山里曲輪へ向かう。山里曲輪、秀頼・淀君自... 2013.09.26 大阪府
東北 三八城公園に残る 八戸城跡 ホテルへチェックイン後、夕食までのわずかな時間を利用して、市内に残る八戸城跡の探索に出かけた。八戸城は、現在の八戸市内丸に位置し、八戸南部氏が拠点としていた八戸根城とは全く別個の城郭である。既に夕闇は迫っている。1644年(正保元年)、南部... 2013.09.17 東北