和歌山県

早朝から高野山大伽藍の散策

雲海の撮影から帰ると天徳院で朝食を済ませ山内の散策に出かけます。先ず天徳院近くの金剛峯寺へ。門前の紅いモミジがきれいだ。門内から外を見る、先ほどの紅いモミジに道路向こうの銀杏の黄も見える。東門を額縁に見立てて。金剛峰寺から檀上伽藍と呼ばれる...
和歌山県

野迫川村の雲海

宿坊を早朝4時出発。現地までは高野山の宿坊から40分前後だ。出発時には雨が降っており、雲海の発生する状況ではなかったが、明け方は晴れるという予報だけを頼りに強引に出発した。やはり撮影は現地に出向かなければ始まりません。悲観的な予想を覆し、雲...
和歌山県

高野山の宿坊に泊る

今回は高野山の紅葉もさることながら早朝の雲海撮影の目的もあり、宿坊に泊ることとした。夜の壇上伽藍散策を終え宿坊へ到着。前田家の剣梅鉢の御紋が迎えてくれます。翌朝の門の様子。天徳院は、加賀百万石・前田家三代利常公夫人珠姫の菩提所として元和8年...
和歌山県

たそがれから夕闇へ 高野山散策

高野大滝から帰り、黄昏の迫る高野山を散策。奥の院に最も近い塔頭で、参道一の橋の手前に位置する清浄心院、塀際の紅葉の色づきはなかなかのもので多くの人がカメラを向ける。境内の紅葉、赤が見事。清浄心院は弘法大師空海の開基と伝えられ、米沢藩主上杉家...
和歌山県

紅葉の高野大滝

盛りを迎えた高野山へ紅葉の撮影に出かけたが、今回は宿坊へ宿泊、高野山を夜から朝にかけて撮影することにした。ボリュームがあるので数回に分けて紹介しようと思う。先ず、龍神スカイラインを4~5km走ったところにある高野大滝を訪ねた。滝のある御殿川...
京都府

祇園白川に 明智首塚

1582年(天正10年)、天正天王山の戦いで羽柴秀吉に敗れた明智光秀は、坂本城を目指して落ちていく途中、小栗栖の藪の中で土民に襲われて命を落とします。光秀の首は秀吉の手に渡り、本能寺に晒されたとも、粟田口の刑場に晒されたとも伝わります。白川...
京都府

悲運の武将 明智光秀終焉の地

地下鉄東西線醍醐駅から、徒歩で15分程でしょうか。枯れ寂びた藪の中、明智薮”が残されています。本経寺敷地内にある光秀公供養塔近江、坂本城主、 明智光秀は天正十年 6月2日 (1582年) “本能寺の変” に依り 天下を征服したが、その後 明...
京都府

沖田総司の恋人の墓? 光縁寺 新選組隊士の墓

紋所が引き合わせた縁と沖田総司の女性関係が取りざたされる興味尽きない寺です。門前には新選組の墓と書かれている。墓への参拝は、左手のくぐり戸から入りそっとお参りする。光縁寺は、1613年(慶長18年)頃に創建された浄土宗の寺で、知恩院の末寺に...
京都府

坂本龍馬 葬送の道を訪ねる

本日の目的は竜馬葬送の道を訪ねることにある。現在では高山寺参道脇の道を上がり、京都霊山護国神社より訪ねるのが普通だが、当時、実際に葬送の行列が進んだ道はそうではないのだ。実際の葬送の列は二年坂から霊鷲山正法寺の参道を霊明神社に向かったに相違...
京都府

お龍さんゆかりの地を訪ねる

今まで紹介してきたものと今回訪れた地をまとめて京都のお龍さんのゆかりの地として紹介します。明治5年頃撮影の写真(ウィキ)本名は楢崎龍(ならさき りょう/1841年~1906年)で、京都柳馬場三条南で医業を営む楢崎将作を父に、母重野貞の長女と...
京都府

武信稲荷神社 龍馬とおりょうの榎

龍馬とおりょうの出会いを導いたエノキ。今も縁結びを願う人が絶えない(京都市中京区・武信稲荷神社)武信稲荷神社は創祀者の藤原良相公が長として一族の名付けをされていたことから、名付け・命名に所縁の神社として知られています。後世には藤原武信という...
京都府

龍馬 お龍「結婚式場」跡(青蓮院塔頭金蔵寺跡)

竜馬の足跡を訪ねているが今日はその葬送の地を訪れようとしている。その前に御両人が祝言をあげたといわれる地を訪ねてみる。それは三条通りを東に進み白川を超えたあたりにある。「パーク・ウォーク京都東山」という賃貸マンションの前がそうだ。建碑地のビ...