"名城"

東海

浜松駅前 地下連絡通路 まるで巨大な灰皿

東海の名城を紹介している途中に季節の話題、修二会の記事を挟んでしまい失礼しました。 今日の泊りはホテルクラウンパレス浜松(HMIホテルグループ)、先月に引き続いての宿泊です。 あいにく今日は雨です。 ホテルのエレベーターから浜松駅前を見渡す...
東海

玉石垣が珍しい高天神城への押さえの城 横須賀城

横須賀城は徳川家康が武田氏の高天神城を締め付ける付城群の中核として、大須賀康高に命じて築いた城郭。 横須賀城の特徴は他に類を見ない天竜川より運ばれた玉石垣を用いた築城法。 天守閣は三層四階であった。 宝永年間に起こった大地震のため湊が隆起し...
東海

信玄公が攻略できなかった城 高天神城

小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた。 優美な山の形から鶴舞城の別称を持つ。 高天神城は、山自体が急斜面かつ、効果的な曲輪の配置が施されたことで、堅固な中世城郭となっていた...
四国

天に向かって勾配を描く雄渾さ 丸亀城

丸亀城は、播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築いた生駒親正が1597年(慶長2)から高松城の支城として丸亀城の築城にかかり、1602年(慶長7)に完成したが、その後一国一城令により廃城となった。 石垣の窪んだ奥が廊下橋...
四国

耕して天に至る 日本のマチュピチュ 遊子水荷浦

土佐久礼で朝日の撮影を終え、四万十川を一路西へ。 最後の訪問地、遊子水荷浦へは4時間強の遠距離です。 旅行社もあまりの長距離に企画を却下したという、この撮影行は写真家竹下氏の熱意で実現した。 トイレ休憩の地、「道の駅 四万十 とおわ」川霧の...
四国

咸陽島に沈むだるま夕陽は見えなかった

だるま夕陽を撮ろうと高知へ来て二日目、やっと夕日と出会えることとなったが・・・・・ 宿毛湾の冬の風物詩である「だるま夕日」は、11月中旬から2月中旬にかけての期間中わずか20回程度しか観ることができません。 し かも綺麗な「だるま」になるの...
四国

地質の博物館 竜串海岸

第3紀層砂岩を波と風がえぐってできた大竹小竹、蛙の千匹連など地質の博物館といわれる珍しい岩礁風景がある。 名の由来は不明であり、竜を串刺したような景観から名付けられた説やアイヌ語に因む説、臥竜山の竜臥(たつふし)が転訛した説、など諸説が立て...
四国

絞め殺しの木 松尾のアコウ

アコウは、絞め殺しの木の仲間として知られる。 全体として幹のように見えるものは、実は気根の集合体である。 先端が地に着くと、そこで毛細血管のように分岐して地面を掴む。 一部が板根のようにもなっている。 国天然記念物「松尾のアコウ」に会うため...
四国

四国最南端の足摺岬

北緯32度43分24秒、東経133度1分12秒。 付近にはこれより低緯度にも小島が散在し、四国本島としても、長碆(ながはえ)地区等の存在から、実際にはわずかに四国最南端ではないが、一般には四国最南端の地(岬)として認識されている。 足摺岬灯...
四国

中村 早朝散策

最初から予定の狂ってしまった「だるま夕陽」撮影の旅、今日の泊りは新ロイヤルホテル四万十翌朝は道の駅ビオスおおがた周辺の早朝撮影の予定だか、この天候では変更せざるを得ないだろう。 翌朝、中村の街を早朝散策、なんとか雨も上がっている。 中村城跡...
四国

雨中 勝間沈下橋

念願のだるま夕日の撮影に出かけた。 2回のだるま夕日と1回のだるま朝日を撮影する予定だったが、あいにく初日から雨。 急遽予定変更で暮れゆく沈下橋の撮影へ変更だ。 土佐湾に注ぐまで幾多の支流を集めることから、総称しその名があるという、四万十川...
四国

阿波九城の一つ撫養城(むやじょう)

築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない。 その後三好氏の配下の四宮氏が城主となったが、天正10年(1582年)、長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を長宗我部元親の配下である真下飛騨守が守備する。 天正13年...