手向山八幡宮への道、柿がたわわに実っている。
鏡池、逆さ東大寺。
こちらも東大寺大仏殿を写している。
池へのリフレクションが美しい。
「奈良の鹿愛護会」の虐待が問題視されているがこの辺りの鹿は大丈夫なのか。
紅葉の名所、手向山の山麓にあり天平勝宝元年(749)東大寺大仏建立のため、九州豊前国(大分県)宇佐八幡宮より東大寺守譲の神としてむかえ、まつられている。
文治4年(1188年)に東大寺大勧進職の重源によって仮殿が建てられ、建久8年(1197年)に社殿が再建される。
その後、建長2年(1250年)に北条時頼によって境内地が東大寺千手院の跡地である現在地に移された。
東大寺は治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより創建時の建物の大部分を失っている。
二月堂はこれらの兵火では類焼をまぬがれた]が、寛文7年(1667年)、修二会の満行に近い2月13日に失火で焼失。
現存する二月堂はその直後の寛文9年(1669年)、江戸幕府の援助を得て、従前の規模・形式を踏襲して再建されたものである。
後世、東大寺を開山した初代別当・良弁が2歳のとき、大ワシにさらわれ、木の上に置き去りにされたという伝説の舞台とされた杉。
初代は樹齢600年、高さ7丈(約21.2メートル)の巨木であったが、昭和36年(1961)の台風により倒れ、現在は4代目。
東大寺修二会(お水取り)上堂の松明を見る
投稿日時: 2015年3月7日
修二会のシンボルのような行事、二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「お松明」。 … 続きを読む →
お水取りで有名な東大寺二月堂。
裏参道は二月堂を下ったところにあります。
土塀に囲まれ、すごく絵になる場所なので、スケッチをしている人がいつもいる場所です。
静かに散策するには絶好の場所です。
裏参道を進むと東大寺大仏殿の裏側や正倉院の方向に出ます。
この参道は、通常大仏殿方面から二月堂に向けてアクセスする際に用いる参道とは異なり、東大寺の小さな塔頭などの間を通り抜けていくルートとなっており、メインの観光ルートとしては扱われていないため、「裏参道」と呼ばれています。
司馬遼太郎もお気に入りという二月堂裏参道
奈良、東大寺大仏殿の裏参道、そう呼ばれる石畳と土塀の小道は「東大寺で一番美しい」と地元の方も絶賛。
「二月堂のあたりほどいい界隈はない。立ちどまってながめるというより、そこを通り過ぎてゆくと気分がいい。
東域の傾斜に建てられた二月堂は、懸崖造りの桁や柱に支えられつつ西方の天にむかって大きく開口している。
西風を啖(くら)い、日没の茜雲を見、夜は西天の星を見つめている」~こう作家の司馬遼太郎さんは「街道をゆく 奈良散歩」で記しています。
夕方の二月堂裏参道。西日に土塀や二月堂本体が照らされる風景からは、少しもの悲しいような雰囲気が感じられますが、それがかえって風景の素晴らしさをしみじみと感じさせてくれます。
二月堂の裏参道は石畳と土壁(築地塀/ついじべい)の風景が落ち着いた雰囲気をかもしだしていて、心落ち着くたたずまいです。
夏に来れば緑が美しく、秋は紅葉と何度来ても違った表情を楽しめます。
観光客も少なく、二月堂の裏参道はそういった意味で東大寺の穴場的な場所です。
鹿たちも静かに群れています。
池に面して鹿のシルエット・・・・
広場では学生たちが休憩しているのでしょうか・・・・・
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