和束茶源郷めぐり

京都府

和束茶源郷めぐり

安積親王陵墓


安積親王陵墓(あさかしんのうりょうぼ)。
和束町内では「たいこ山」「たいこ山古墳」で通っています。

安積親王は聖武天皇の第五皇子で、十七歳で命を落としました(その死因は病死とも、毒殺とも…)。
平城京・恭仁京と紫香楽宮とを結ぶ街道を愛した皇子のために、この地を陵墓として葬られたと伝わります。
大伴家持はこの皇子の臣下であり、この皇子を偲んで詠んだ歌が、万葉集に収められています。

かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも 我が大君 皇子の命 万代に 見したまはまし 大日本 久邇の都は
うち靡く 春さりぬれば 山辺には 花咲きをゐり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に およづれの
たはこととかも 白栲に 舎人よそひて 和束山 御輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ こいまろび ひづち泣けども 為むすべもなし
(巻3-475)
我が大君 天知らさむと 思はねば おほにぞ見ける 和豆香杣山 (巻3-476)
はしきかも 皇子の命の あり通ひ 見しし活道の 道は荒れにけり (巻3-479)

活道ヶ丘公園の入り口に巻3-476の歌碑が立てられてあります。
(訳)
我が大君(安積皇子)が眠りにつかれるとは思いもかけなかったので、今まで漠然と見ていたものだ この和束の杣山を

陵墓の頂上部はくるっと一周できるようになっており、眺めよく、気持ちのよい風が吹きます。

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正法寺


正法寺(しょうほうじ)は、和束町内の紅葉の名所として知られています。
紅葉やイチョウ越しに茶畑を臨む眺めを落ち着いて楽しむことができます。

臨済宗永源寺派の寺院。
天平時代、安積親王の菩提を弔うために、寺の背後にある仏法寺山に行基菩薩を開山として建立されたと伝えられます。
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創建当初の正法寺は、大寺だったとも伝えられますが、中世の兵火によって荒廃。その後、江戸時代に山麓の現在地に移設して再建し、正法寺としました。

境内、特に参道の周囲には、多くのヤマモミジが植えられていますが、本山の滋賀県永源寺から移植されたものだそうです。
紅葉のほか、季節とりどりの花も美しく、一年中目を楽しませてもらえるお寺です。

弥勒磨崖仏


磨崖仏とは、自然の中にある巨石や岩壁に直接、仏や菩薩を彫刻した石仏の一種です。
今回の目的である巨大磨崖仏があるのは、和束町白栖(しらす)。
JR加茂駅からバスに乗って「和束長井」というバス停へ。
そこから橋を渡り、のどかな茶畑が広がる和束川沿いの道を5分程進んだ場所へと向かいます。

平成27年(2015)に整備された遊歩道を進んでいくと…。

こちらがその磨崖仏。
下から見上げると実に壮観です。
こちらの磨崖仏は「弥勒(みろく)磨崖仏」と呼ばれ、地域の人々からは「長井の弥勒さん」の名で親しまれています。
和束川北岸の巨大な花崗岩を彫り込んで造られた弥勒磨崖仏。
高さ6m13cm、幅6m22cmの直立する岸壁に像高3m32cm、肩幅1m23cmの立像が深く彫り込まれています。

弥勒磨崖仏は近くの海住山寺にゆかりの深い解脱上人の作といわれていますが、この一派の僧侶の本願によって造立されたものだろうと伝わっています。
この辺りは、山岳信仰の霊地として知られる鷲峰山金胎寺(じゅぶさんこんたいじ)の参道にあたり、そこに参拝する行者がこの弥勒磨崖仏の下で身を清めたといわれています。

今度は川向かいから眺めてみましょう。
和束長井のバス停に戻り車に気をつけながら弥勒磨崖仏の正面に位置する場所へと向かいます。

川を挟んで結構離れているのですが、それでも十分に大きさがわかります。
昔の旅人もこの場所から磨崖仏に向かって手を合わせていたのでしょうか。

およそ720年以上に渡り、風雪に耐えながらも人々の救済に励んできた弥勒菩薩。
周辺には駐車場がないため、電車・バスを利用してお越しください。

住所:京都府相楽郡和束町白栖
アクセス:JR加茂駅から奈良交通バスで「和束長井」バス停下車、徒歩5分
問い合わせ:和束町観光案内所/0774-78-0300