過酷な自然と戦った勇気ある物語の数々
亀の瀬地すべり歴史資料室は開館1周年を迎えます!
これを記念し、2025年3月29日(土)に特別イベントを開催します!
第四大和川橋梁 特殊な構造で、当時の逼迫した状況を今に伝え構造は鉄道ファンの評判になっています。
第四大和川橋梁
第三大和川橋梁同様、1931(昭和6)年に発生した亀の瀬の地すべりによって、鉄道が大和川の左岸へ移された際に架橋された鉄橋です。
特殊な構造で、河川に対して角度をつけて架けられており、こちらも当時の逼迫した状況を今に伝え、構造は鉄道ファンの評判になっています。
悠久の歴史や人々の心に想いを馳せながら、龍田古道を歩く。
龍田古道とは、古代において都のあった大和国(奈良)と西国からの玄関口であった河内国(大阪)を結ぶ道であり、『万葉集』の和歌では龍田道と記されています。
奈良と大阪の境は、南北に生駒山系と金剛山系によって隔てられており、移動するためには山越えを必要としました。
そのような地理的な条件下で、生駒山系と金剛山系の間を東西に流れる大和川(旧龍田川)は物資運搬の大動脈であり、川に沿った道は標高差も少ない利便性の高い道であったことから、聖徳太子や天武天皇、聖武天皇らによって整備が進められました。
特に奈良時代には、中国大陸に向かう港があった難波に宮が置かれ、官道として平城京との間を天皇が移動する行幸(ぎょうこう)が頻繁に行われました。
「亀の瀬」は、なぜ「亀の瀬」と言うのでしょうか。
奈良県から大阪府へと流れる大和川。その府県境付近を「亀の瀬」といいます。 「亀の瀬」は、なぜ「亀の瀬」と言うのでしょうか。
それは、よく知られているように、今も残る「亀岩」あるいは「亀石」と呼ばれる巨石があることによるのでしょう。
異説もあるようですが、そう考えるのが素直でしょう。
川の中にある大きな岩塊から南西に細く突出した部分をもつ巨石は、いかにも甲羅から頭を出す亀のようです。
江戸時代後期に刊行された『大和名所図会』にみられる亀岩と同じものを現在も見ることができます。
この亀岩が動くと、地すべりが起こって大和川がふさがれ、大和(奈良県)に洪水が起こるという伝承があります。
まさかそんなことはないと思うのですが、亀の瀬で地すべりが起こって大和川がふさがれると、奈良盆地は水没し、大洪水になってしまいます。
その水は、やがて鉄砲水となって大阪平野を襲い、大阪平野も水没してしまいます。
過去の地すべりの際には亀の瀬付近の地形も変わっています。
『大和名所図会』の挿絵では川の中央に描かれている亀岩が、現在は右岸(北岸)近くにあることもそれを示しています。
つまり、亀岩が動いて地すべりを起こすのではなく、地すべりが起こると亀岩やまわりの地形が動いてしまうのです。
亀の瀬は地すべりが繰り返された地で、これまで大規模な地すべり対策工事が行われてきました。
伝承も昔の人の教訓だと思って、今後の防災に活かしていくことがたいせつなのでしょう。
そのように考えながら亀岩を見ていると、亀岩が大和川の守り神のように見えてくるのです。
「亀の瀬」の名称を確認できるもっとも古い文献は、平安時代末期に成立した『扶桑略記』です。
今のところ、「亀の瀬」の名称を確認できるもっとも古い文献は、平安時代末期に成立した『扶桑略記』です。
そこには、治安3年(1023)10月に、藤原道長が法隆寺から竜田道を経て道明寺へ向かったことが記されています。
そして、「亀瀬山之嵐、紅葉影脆、龍田川之浪、白花声寒」という漢詩が詠まれています。
ここでは亀瀬山とあるだけで、渓谷のことを亀の瀬と呼んだと決めつけることはできませんが、おそらく亀の瀬付近の山を亀瀬山と呼んだのでしょう。
【解説動画】龍田古道 亀の瀬 絵巻を見る
【解説動画】龍田古道 亀の瀬 絵巻
龍田古道は奈良時代に平城京と難波宮を結び、大和と河内の国境を繋ぐ官道でした。
亀の瀬はその国境にある大和から河内へ流れる大和川が最も狭くなっている急流域で、『日本書紀』では交通の難所として記されています。
絵巻は、奈良時代の様子をデジタル動画で再現し、対岸の王寺町の明神山からの眺望を意識して作られました。
どうやら「亀の瀬」と呼ばれるようになったのは、平安時代の中ごろのようです。
ちなみに、この漢詩にみえる「龍田川」は、斑鳩の西方を流れる竜田川のことではなく、大和川のことです。
この歌だけでなく、亀の瀬付近の大和川は、古代から江戸時代まで龍田川と呼ばれており、桜や紅葉の名所としてよく知られていました。
現在の竜田川は、平群川に有名な竜田川の名称を与え、紅葉を植えて名所としたものです。
「竜王社(龍王社)」
葛城修験第二十八番目経塚は、多くの古記に「亀の尾宿」であると記されています。
「亀の尾宿」は大阪府柏原市の峠地区「亀の瀬」と呼ばれる場所に位置し、大和川の河中にある、亀の姿をした巨石「亀岩」がそれであると言われています。
あるいは奈良県王寺町の明神山という説もありますが、どちらが経塚であるかは定かではありません。
やっと着いたと思いきや、旧の亀の瀬地すべり歴史資料室です。
やっと到着です。
写真を撮りながら歩いたのと、最近、足が遅くなっていることで、駅から20分とありましたが約1時間かかっています。
満開の桜が迎えてくれました。
これからガイドツァー開始まで亀の瀬地すべり歴史資料室の見学です。
亀の瀬の過去の被害状況の記録が絵葉書などの資料として保存されているほか、これまでの対策工事の記録資料も保存展示されています。
昭和7年2月8日の大阪朝日新聞の記事です。
1日2万人もの人が押しかけ、「地すべり景気」を生んだとあります。
ジオラマにトンネルを徒歩で連絡する道が描かれています。
亀の瀬の地質は年代の古い地質ほど地表より深くに堆積しています。
黒っぽいものは溶岩が堆積したもので、薄い茶色(白っぽい)のものは粘度化した箇所ですべり面となります。
何故、トンネルは崩れずに残っていた?
地すべり対策事業の最後の排水トンネル工事中の平成20(2008)年11月13日、昔のままの姿のトンネルが、約80年の時を超えて、姿を現しました。
見つかった延長50mのトンネル部分は、ここだけが安定した岩盤の上にあり、地すべりの範囲から外れた位置にあったと考えられています。
いよいよガイドツァーの開始です。
集水井工(しゅうすいせいこう)の説明を受ける。
地すべり対策には主に2種類あり、地すべりの原因となる土砂や水を取り除く【抑制工】と構造物(主に杭)で地すべりを止める【抑止工】に大別されます。
【抑制工】の中で最も効果があるといわれているのが深さ約40mの井戸を掘り、その中から集水ボーリングによって地下水を集め地上に排出する集水井工です
当社ではこの集水井戸の構築を古くから携わり、約30基の施工実績を積み上げました。
亀の瀬地すべり対策事業でのなかでも最も代表的なものが深礎杭による【抑止工】です。
深礎杭は他の杭では対処できない大きなすべり力があるところにおいて採用されており、施工規模も大きく世界トップクラスと言われております。
直径はφ3.5m~6.5mで杭長は100mに達する深さもあります。
このような長い巨大な杭を地上から掘り下げてすべり面下を貫き、場所打ちで鉄筋・コンクリート杭を築造し、杭の抵抗力によって地すべりを防止するものです。
亀の瀬地すべり対策事業ではこのような【抑止工】を昭和51年から着手し、平成19年現在も施工中です。
当社は着手当初の昭和51年から参加させて頂き、深礎杭の施工実績としては120本を超えており、現在も峠下部深礎杭を施工させて頂いております
1号排水トンネル・旧大阪鉄道亀の瀬トンネルに入ります。
全員ヘルメットを着用、中は真っ暗なので懐中電灯の明かりを頼りに進みます。
集水用の穴が沢山あります。
途中でスライドを使って説明を聞く。
集水穴。
スライドで説明を受ける。
いよいよトンネルの穴も小さくなります。
用済みとなった感もあります。
常に水が出ています。
亀の瀬地すべり対策工事をユーチューブで見れます。
動画 亀の瀬地すべり対策工事紹介映像「亀の瀬 KAMENOSE」
動画 日本遺産【亀の瀬トンネル】ガイドツアー プロジェクションマッピング 柏原市
アクセス画像
大阪府柏原市大字峠
⚫︎JR河内堅上駅から徒歩約20分
⚫︎JR三郷駅から徒歩約30分
日本100名城巡りを始めて足かけ3年、足でたどった 名城を訪ねる旅
この記事に掲載されている情報は、公開時点のものです。