中近世の自治都市平野郷を訪ねる


全興寺を中心とする「平野中央通商店街」周辺は、太平洋戦争時に空襲を逃れたこともあり、古い町並みの面影が現在も残っている。

全興寺を後にして平野郷散策へ出る。

戦国時代平野郷は、自衛のため周囲に堀をめぐらし、環濠集落を形つくっていた。

そして、出入口にはそれぞれ門と門番屋敷や地蔵堂を設け警備に当った。
濠の間には、大小十三の木戸口があり、摂河泉各方面へ道路が放射状に延びていました。

ここは流口地蔵

流口は平野環濠の最南端の出入口で、流口木戸門から南下する道は中高野街道です。

中高野街道は喜連・瓜破を通り、嘗て平野川の水源だった狭山池で堺から来る西高野街道と合流する信仰の道です。

蘇民将来と疫病よけ

『釈日本紀』巻7に引用されている『備後国風土記』逸文に、疫隅社(えのくましゃ)の縁起として、次の説話が記されています。

昔、北の海に住んでいた武塔神(むたのかみ)が、南の海神の娘のもとに出かける途中、二人の兄弟に宿を乞いました。

兄の蘇民将来(そみんしょうらい)はとても貧しく、弟は裕福で大きな家に住んでいました。

弟は惜しんで家を貸そうとはしませんでした。

一方、兄は粟の茎で編んだ座布団をすすめ、粟飯と粟酒などを出してもてなしました。

数年が経ち、武塔神は八人の子神を連れてその地を再び訪れました。

そこで、「私は、以前受けた恩に報いようと思う。

あなたの子孫は家にいるか」と尋ねました。

蘇民将来は「私の娘と妻とが家におります」と答えました。

すると武塔神は、「茅の輪をその娘の腰に着けさせよ」と言います。

そのとおり娘の腰に茅の輪を着けさせたところ、その夜に娘一人を除いて、その土地の人々はことごとく殺され滅ぼされてしまいました。

武塔神は、さらに「私の正体は速須佐能雄能神(はやすさのをのかみ)である。

今後、疫病が流行することがあれば、蘇民将来の子孫と言って茅の輪を着けていれば、死を免れるであろう」と言いました。

この説話は、疫病消除の「茅の輪」の由来譚となっていますが、「蘇民将来の子孫」が呪文となり、疫病除けの護符に使用されます。

また、武塔神はスサノオノミコトと名乗っていますが、後には祇園社(八坂神社)の牛頭天王と習合し、その信仰は複雑に展開していきます。

おもろ庵

昭和博物館みたいな古民家カフェ

折角だが本日は定休日。

小林新聞

新聞屋さん博物館

朝日新聞誕生の地、大阪市内で一番古い朝日新聞販売店”小林新聞舗”。 
創業は明治22年。
 
館内には、明治時代の大阪朝日新聞・大阪毎日新聞、日清戦争から現在までの号外、読者サービスでであった明治時代からの双六・画報・優待券などの付録の他に、珍しい新聞販売資料・写真など数千点の所蔵の中から約二百点が展示されている。 

建物はモダンなアーチ型の窓があるノスタルジックな大正風。

店名は「アート」だが雑然としていてアートの感じがしない。

何処の商店街も同じだがやってるのかどうかよくわからない。

樋尻口は竜田越奈良街道や八尾街道に通じる道です。

樋尻門筋の名前は東に平野川から環濠の水を引く樋があったことに由来します。

樋尻口の守護神だった樋尻口地蔵は地雷で首を吹き飛ばされたという伝説があります。

真田幸村が家康を狙い地蔵付近に地雷を仕掛けましたが、家康の身替りになった地蔵の首が全興寺まで飛びました。

平野公園は環濠の一部であつた松山池の跡地につくられました。

公園内には環濠の痕跡がわずかに往時の名残をとどめております。

公園の周囲に環濠に沿って築かれた土塁が残っています。

観光の目印のようですが、説明がなく使い方不明です。

転用石

石垣をつくるため、墓石や民家の礎石だけでなく石仏までかき集めたというのは、領主にとって名誉な話ではない。

敵から没収したものなら自慢にもなるが、ほとんどは領民から取り上げたものである。

すなわち、石材を揃えられなかった事実は資金に窮していたことの証である。

やむを得ないことであるなら、見えない部分である地面や水面の下になる箇所に使用すればよい。

ところが、転用石の多くはわざわざ正面中央部や角の部分など、人目につく部分に使用されている。

城には物理的な強さだけでなく、多くの人の力を結集したという事実にもとづく呪術的な強さが必要というのが戦国時代の考え方であり、領民から集めた石を石垣にしたのはその現れだったとも考えられている。

墓石や石仏には人々の先祖代々の思念や信仰の力が籠もっているため、石垣の素材としては最適という考えが成り立つ。

転用石をよく見える場所に置くのは、領主と領民が一体となったことを誇示するものであり、石を提供した領民へのサービスであったという見方もなされている。

赤留姫神社

「赤留比賣命」は日本神話に登場する神で、新羅から祖国であるとする本邦へ渡来したとされています。

本社社殿の左側(北側)には「住吉社」(写真右側)と「金刀比羅社」(写真左側)が西向きに鎮座。

住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記』にも「子神」として「赤留比賣命神」が記され、古くから住吉大社と関係が深かったことが窺えます。

境内入口。西向きに鳥居が建っています。

社地は横(南北方向)に広く縦(東西方向)に狭いため、鳥居をくぐってすぐのところに社殿が建っています。

拝殿後方に建つ本殿は銅板葺・一間社流造で朱塗りが施されたもの。

やや小高いところに建っています。

拝殿前の狛犬。砂岩製で、がっしりとした体格のもの。

神社の前に猫好きのおばちゃんがいてしばらく猫談義。

生活感は感じられないですが、風情のある建物です。

『鍾馗さん』は京都や奈良の町屋によく据えられている飾り瓦です。

中国で鬼を退治したという伝説の英雄で、疫病神を祓い、魔を取り除くと信じられてきました。

昔、ある薬屋が大きな家を建てた際、屋根に大きな鬼面瓦を据えたそうです。

その鬼瓦を見た、向かいの家の娘が、その鬼に常に睨まれているような気がして夜ごとうなされ、ついには病気になって寝込んでしまったのです。

家族は病気を直すために、様々な手をつくしたけれど、一向に良くならないので娘が言う、その鬼瓦を取り外してくれないかと、薬屋に頼んだのですが、薬屋には大金を払って取り付けた鬼瓦なので外す事はできない!と言われてしまうのです。

そこで家族は鬼に勝つものは何か?と考え、中国の伝説にならい鐘馗さんの瓦を特別につくってもらい屋根に置いたそうです。

すると、娘の病はすっかり回復したといいます。
これが屋根のうえに飾るようになった由縁とされているそうです。

立派な板塀のお家。

長寶寺 王舎山長生院

坂上田村麻呂の娘で桓武天皇の妃の春子姫が、延暦二十五年(806)桓武天皇崩御により、弘法大師に帰依し剃髪し慈心大姉となられ、長寶寺を開基されました。

「王舎山」の山号は、後醍醐天皇が、皇居を吉野に移される時に、長寶寺を仮の皇居とされ、その時に賜ったものです。

境内の手水鉢には 水神に祈願するため 瓢箪(ひょうたん)を模した石に柄杓(ひしゃく)で水を掛けるようになっている。

銅鐘は建久三年(1192)の銘を有し、京都東山金光寺の鐘であったことがわかり、鎌倉時代の代表的和鐘の一つに数えられています。 

ともに国の重要文化財に指定され、市立美術館に寄託されています。

広大な寺域に多くの堂宇があったが、元弘の乱(1331年)、建武年間 (南北朝の争い)、元和(大坂夏の陣(1615年))の兵火により、灰燼に帰した。

「平野郷町誌」によれば、現在の本堂・庫裡は、当寺第三十三代・慈源大姉の時、天保年間(1830-1844年)に再建されたと言う。なお、当寺の住職は代々坂上家の女子が補されることになっている。

防火水槽 58 ■ 平野区平野本町3-1-19

平野区ではじめて見つけた防火水槽は、ご覧の通りの本格派。

さすがは戦火に巻き込まれることなく今も風情ある旧平野郷にとてもマッチした物件です。
 
この第58号、昔ながらな格子ある町家の中に、まさに“鎮座”しています。

その材質は重厚感のある石。その上には木のフタ、そして大きな重石。

“イザっ”と言う時にヤワな人では消火作業できんのやないかとは思いますが、構成美としてはじつに落ち着きがあってかっこよくまとまっています。
 
よく見ると、どうやらこの物件の正面には文字が彫り込まれています。
 風情ある平野郷にあまりにぴったりすぎて“出来すぎ”な感もありますが、ほとんどオブジェとして残っているというのもちょっとテーマパークっぽくてええかもしれませんね。ま、“戦争遺産としての防火水槽を探す”というニュアンスからすると…ややはずれているとも思いますけれども。

古風な街並みに場違いなBar。

テントの破れと壁に絡まる蔦、面白い取り合わせ。

蔦だけでもおもしろてオブジェ。

平野郷十三口  田辺道西脇口地蔵

この地蔵堂は田辺道西脇口門の傍らにあったもので、田辺方面へ通じる木戸口であった。

環濠があった頃、地蔵堂は濠を背に東向きに建っていたが、昭和初期、濠を埋め道路を西へ伸長する際、南の道へ移され北向きとなった。   説明板より

南口地蔵とも子安地蔵とも呼ばれ、南下すると堺口から延びる住吉・堺に通じる八尾街道に合流します。

西脇口には昭和55年まで南海平野線が通り平野駅がありました。

現在は線路沿いに細長い公園になっています。

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