中之島美術館


なんとも斬新な外観の建物。
ここが国立国際美術館の入り口で、ここから地下の展示スペースへとおりていきます。

一見、美術館とは思えないたたずまいです。

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大阪中之島美術館は地上5階建て、延べ面積が約1万8500m2と巨大。

最初の展覧会は、展示室がある4階と5階を全て使った大掛かりなものだ。

黒を、本当に黒く見えるように表現し、かつ長期間黒であり続けることは、非常に難しいことです。

塗装をしてしまえば一旦は黒にはなるのですが、外壁として長期間黒を維持することは難しくなってしまいます。

そのため、塗装に頼らずに黒を黒に見せるための方法を考えました。

光を反射させるのではなく、吸収ないし乱反射させる必要があるのですが、人工的に乱反射させること程難しいものはありません。

実際の表面はかなり凸凹があるものになります。

凸凹が作る影も、黒く見せるためには重要なので、様々に試作を繰り返しています。

外壁のコンクリートに混ぜ込む砂や骨材には、もとから黒い素材を選び、黒い顔料も加えています。

その上でさらに、表面をウォータージェットで削ったり、濡れて黒く見える様な加工をしたりと、黒さを極めます。

ヤノベケンジ『シップス・キャット(ミューズ)』2021年 芝生広場に設置されるのは、旅を守り地域に福を呼び込む「船乗り猫」。

堂島川に面する大阪中之島美術館が世界に向けて情報発信をする象徴となる。

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なお1、2階は無料で入場でき、ミュージアムショップ〈dot to dot today〉などが利用できます。

美術館を象徴する「パッサージュ」

この美術館は充実したコレクションだけでなく、建物そのものも大きな魅力になっている。

内部を立体的にくりぬいた「パッサージュ」(遊歩空間)はぜいたく過ぎるほどの広さを誇る。

パッサージュは館内全体で約3400m2ある。
誰でも自由に利用できるパブリックスペースだ。

さらに、2階と4階をつなぐ真っ黒な直通エスカレーターが吹き抜けで交差する。

大胆でダイナミックなつくりに、誰しも驚く。
吹き抜けは高い所で約30mの高さがある。
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4階から下を見ると、パッサージュの巨大さや立体感を理解しやすい。

1階にいる人たちが小さく見える
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4階から2階に戻る下りのエスカレーター。

2階のミュージアムショップの脇に出られる
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ほとんどの来館者が訪れる2階のパッサージュ。

多方向に出入り口がある。

チケット売り場も2階にある
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交差する長いエスカレーターは、見る角度によって様々な表情を見せる。

いろいろな位置から眺めてみよう。

エスカレーターで上り下りしているときの周囲の見え方にも注目してみるといい

2つのエスカレーターが交差する様子
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19億3000万円のモディリアーニの裸婦画は、今や10倍の評価額に!

建設準備室が購入した作品では、モディリアーニ『髪をほどいた横たわる裸婦』が有名。

1989年に大阪市が19億3000万円で購入し、当時は「税金の無駄遣いだ」と散々叩かれました。

でも、30年以上寝かせていた間に価値はどんどん高まり、現在の評価額は10倍以上。

「大阪市は先見の明があった」のようにいわれているのが何とも微笑ましい。
人間は現金なものです。

故国イタリアで育んだ芸術への思い

アメデオ・モディリアーニは1884年、イタリアのリヴォルノに生まれた。

もともと病弱で、11歳で胸膜炎を発症したのに始まり、健康上の問題に悩まされ続けながらも、ひとつの夢を持っていた。
「絵画の道に進みたい」

やがて、その思いを確かなものとした彼は、15歳で学業を放棄。

フィレンツェやヴェネチアの美術学校に入り、基礎技術を学んでいく。

17歳の頃には病気療養のため、イタリア各地をめぐっている。

この時に各地の美術館や教会を訪れ、過去の巨匠たちの作品の数々を目にしたことは、彼にとって大きな宝になる。

それは、制作における、イメージや構図の引き出しとなっただけではない。

彫刻にも大いに関心を寄せるようになり、「彫刻家になる」という新たな目標が生まれた。

更には1903年のヴェネチア・ビエンナーレで最新の美術の動向に触れたことで、彼の目はイタリアの外へと向かった。

確かに、このイタリアは数百年前にルネサンスが始まった場所であり、オールドマスターたちの作品の宝庫でもある。

だが、現在の美術の最前線は、何と言ってもフランスのパリだ。

そこでは、世界中から集まった芸術家たちによって、日々新しい流れが生まれようとしている。

おそらくは今この瞬間にも──。

想像するだけで、胸が高鳴っただろう。

パリに行きたい──そんな思いが、モディリアーニの中に生まれ、強まっていった。

そして1906年1月、ついにそれは現実のものとなる。21歳のときだった。

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