室町時代後期には織田信長により、山上に野草園が造られたとされている。
岐阜県関ケ原町から東尾根を登って9合目まで至る有料道路で、9合目には500台以上を収容できる駐車場のほか、展望設備や飲食店、売店を営業している。
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明治以降に近代登山の対象となった。
大正には中山再次郎により、関西におけるスキーの山として注目されるようになった。
1964年(昭和39年)に深田久弥により日本百名山に選定されると、百名山ブームもあり全国的に登山対象の山として知名度も高まった。
1965年(昭和40年)に伊吹山ドライブウェイが開通すると、9合目まで容易に上がれるようになり山頂部は観光地化した。
伊吹山の神は「伊吹大明神」とも呼ばれ、『古事記』では「牛のような大きな白猪」、『日本書紀』では「大蛇」とされていた。
『古事記』にはヤマトタケルがこの伊吹大明神と戦って敗れる物語がある。
伊吹山の神に苦しめられて敗れたヤマトタケルは病に冒されて山を下り、居醒の泉(米原市醒井の平成の名水百選の1つに選定されている「居醒の清水」)で少し回復したものの、のちに悪化して亡くなったとする伝説が伝えられている。
梅雨期の醒ヶ井宿
醒井宿は、近江国坂田郡にあった中山道(中山道六十九次)61番目の宿場であり、現在 … 続きを読む →
『古事記』『日本書紀』に、ヤマトタケルノミコトが東国征伐の帰りに、伊吹山の神が白い猪の姿であらわれた。
その猪が氷雨(雹)を吐くと、ヤマトタケルは前後不覚におちいった。
やっとの思いで山をおり、「玉倉部(たまくらべ)の清水」に到って休憩すると、気分が回復してきた。
山頂部にはその日本武尊の石像と、伊吹山の神の白猪の像が設置されている。
登山しやすい山と言われていますが、登山道では、大きい岩が露出していたり、石がゴロゴロしていて歩きづらい箇所もありますので登山に適した靴や服装に心がけてください。
表登山道の三合目西側の「高屋」と呼ばれる場所はヤマトタケルが山の神に出会った場所とされていて、大正時代に石の祠が建立されその中に木造の日本武尊が祀られた。
画像 雪渓が見られます、さすが伊吹。
山頂周辺には高山植物を含む野草群落が花畑として保護されており、夏季には色とりどりのお花畑となる。
しかし、近年、鹿の食害により草花が激減、往時の姿はない。
2013年の訪問記雲上の楽園「伊吹山」
滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山地主峰の標高1,377mの山。 滋賀県最高峰の山 … 続きを読む →
伊吹山ドライブウェイ終点の駐車場からは遊歩道が整備されている。
遊歩道は3本が整備されていて、20分ないし40分程度で山頂に到達できる。
伊吹山山頂より南西を望む。
山頂の伊吹山寺山頂本堂、その左に伊吹山之神「白猪」の像。
山頂には5軒の売店が営業していて、季節によっては一部の店が日中の売店営業だけでなく夜間登山の仮眠所(収容人数350人)として開いている。
山頂部にはその日本武尊の石像が。
伊吹山の西側では滋賀鉱産(株)伊吹鉱山によって石灰岩の採掘が行われています。
2003年3月までは住友大阪セメント(株)伊吹鉱山として、セメント向けを中心に採掘が行われていましたが、現在は骨材、路盤材向けに採掘が行われています。
この石灰岩鉱山の部分は,この付近の地層ができあがって以降の断層運動による破砕が認められ,古くからの崩壊地となっています。
鉱山の初期は崩壊地の下でこの崩壊物だけを採っていました。
現在はこの崩壊地の上部を採掘しており、最終的には急傾斜の破砕を受けた石灰岩や石灰岩の崩壊物を採掘して安定した山腹になる計画です。
緑化も採掘地だけでなく、崩壊地に対しても行われています。
下山は中央登山道を通れば20分ほどで9合目まで。
中央登山道はほとんどが木の階段で歩きやすい。
イヌワシハンター達は、カードレールの外側に入り断崖絶壁の足場の悪いところスレスレに三脚を立てて切り立っている崖の下を飛ぶイヌワシを上から撮るという理想的な撮影が出来るが、足が竦んでしまい尻込みを感じ崖の下が見えるところまではなかなか行けない
(崖から1m位離れる)が、崖スレスレに飛ぶことがあるそうで飛んでも何も見えないことがあると地元の人達が教えてくれた。
湖北野鳥センター
湖北野鳥センターには、「冬の三大スター」のオオワシ、オオヒシクイ(いずれも国の天 … 続きを読む →
伊吹山 バイクツーリング登山。
恋慕観音像様に「恋愛成就のお祈り」。
お花畑をめぐる西遊歩道からの山頂部。
観音様の足元のチェーンには伊吹山ハートロックキーがズラリ!
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