柿本人麻呂を祀る柿本神社

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柿本神社人丸山西麓の西鳥居。

亀の水(亀齢水)

人丸山西麓の西鳥居前に湧く地下水。
延命長寿の水としての信仰を有する。

元禄12年(1699年)、現在の西参道を造営するに際して手水舎として設けられたのが始まりという。
現存する手水鉢は享保4年(1719年)に飯塚宣政によって寄進された。

明石天文科学館展望室からの柿本神社。

人丸山の頂上に鎮座するが、山名も当神社に因むもの。
旧社格は県社。旧くは「人丸神社」と称し、地元では「人丸さん」とも呼ばれる。

柿本大明神とも称される柿本人麻呂朝臣を祀る。

嘉暦2年(1327年)に著された『人丸縁起』によると本地仏は十一面観音で、その像は旧別当寺として隣接する月照寺に祀られている。

ただし創祀の事情に関しては、人麻呂が水死させられたという説があるので本来は非業の死を遂げた人麻呂の怨霊を慰めるために祀られた可能性、あるいは『古今和歌集』に詠み人知らずの歌として「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れゆく舟をしぞ思ふ」という歌が載せられ、左註に「ある人」の言として作者は人麻呂であるとされ、神社ではこの歌を縁起として重視していることと、人麻呂が文武天皇から下賜された船乗十一面観世音の仏像が大和国の柿本寺という寺にあったのを覚証が迎えて楊柳寺の奥の院に祀ったところ仏像の胎内から『和歌秘弁抄』なる書物1巻が出たとの伝承があることから、和歌を含めた秘事口伝が重んじられるようになった時代に「ほのぼのと」の歌が人麻呂作と信じられそのことが直接の契機となって、神社が創祀された可能性が考えられる。

因みに当神社と密接な関係を持つ月照寺の寺伝によれば、覚証は大和国の広安寺なる寺から人麻呂の念持仏であった船乗十一面観世音を勧請して楊柳寺の奥の院に祀ると共に寺号を月照寺と改めたといい、また同寺では「ほのぼのと」の歌に「初生(ほのぼのと) 娑婆世界(あかしがうらの)朝立霧(あさきりに) 四魔滅(しまかくれゆく) 念仏(ふねをしぞおもふ)」との字を充て、各句を発心大円鏡智(生)、修行平等性智(老)、菩薩如観察智(死)、涅槃成行作智(病)、法界体性智(苦)の「生老死病苦」という仏教的摂理で解釈している。

811年(弘仁2年)空海がかつて明石城のあった赤松山に創建した湖南山餘鵜楊柳寺にはじまると伝えられている。

1618(元和4)年に明石城築城に伴い柿本神社とともに現在の位置に移った。

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