住之江区南東部に位置する。現行の安立一丁目から四丁目は、中央を紀州街道が走り、紀州街道の両側に広がる南北約1.5km、東西約120-150mの町域を持つ。
北端を細井川、東端を阪堺電気軌道阪堺線、西端を南海本線、南端を大和川に囲まれている。
もとは住吉大社の歴代宮司家の津守氏の領地の西方にあったため西町と呼ばれていた。
この地は海に沿った白砂青松の 地で、白い砂と松の緑は四季を通じて、す ばらしい景観をみせ、いつしか「霰松原」 と呼ばれていた。
万葉歌碑
「霰打つ あられ松原 すみのえの
弟日(おとひ)おとめと 見れど飽かぬかも」
天武天皇の第4皇子・長 皇子も慶雲3年(706)の文武天皇の難 波行幸のさいに当地を訪れ、「霰打つあ られ松原すみのえの弟日娘と見れど飽 かぬかも」の歌を詠んで、その歌碑が建 てられています。
また公園内には、霰松原 荒神・金高大明神(オタヌキさん)・瀧川稲 荷大明神なども祀られています。
地名の由来
徳川将軍家の御典医である半井氏(なからいし)一族の半井安立軒元成(なからい・あんりゅうけん・もとなり)という、名医として知られていた医師がこの地に住んでいたことに因む。
皆さんご存知の「一寸法師」。
住ノ江駅を降りてすぐの安立(あんりゅう)町は一寸法師ゆかりの町なのです。
一寸法師はこの安立の地で生まれ、針の刀を持って、京を目指したのだとか。
昔は安立町の商店街には多くの針屋があり、そこから生まれたお話だったそうです。
もともと一寸法師は住吉大社付近に由来するものでして、近隣にある安立町がそれにあやかった・・・というのが真実のようです。
通りには古い立派な家が目立つ、この酒屋さんも古い家です。
このうちも古いおうち。
川魚を扱う店、繁盛していたそうですが時代の流れには勝てず、最近廃業されたようです。
ここも川魚を扱うお店だったようですが営業品目を変えたりして頑張っている。
畳屋さんも最近では珍しい。
商店街に連結した「安立銀座」なる商店街。
完全にシャッター街と化している。
商店街を抜けた所に紀州街道の道標がある。
高麗橋東詰から十・五キロメートル。
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