興聖寺(こうしょうじ)は京都府宇治市にある曹洞宗の寺院。
日本曹洞宗最初の寺院。
道元が興聖宝林寺を建立したことにはじまる。
断絶のあと、慶安元年(1648年)永井尚政によって再興された。
山号は仏徳山(ぶっとくさん)。
本尊は釈迦三尊。
石塔、江戸時代初期作、興聖寺三塔のひとつ。
琴坂
興聖寺の本堂に通じる参道は、紅葉と桜で宇治では有名。
琴坂の参道沿いに流れる湧き水は、本堂脇の貯水槽に一旦貯められた朝日山の山水が流れており、その水の流れがあたかも琴の音色に聞こえ、長い参道が琴の形状に似ていることから、今日まで琴坂と呼ばれるようになった。
秋には見事な紅葉を見せてくれるがこの時期は緑がきれい。
楼上に釈迦三尊像と十六羅漢像を安置する大きな龍宮造りの山門。
興聖寺は、比叡山延暦寺の弾圧を受け、寛元元年(1243年)、道元が越前に下向して以降荒廃し、住持4代で廃絶した。
その後慶安2年(1649年)、淀城主の永井尚政が万安英種を招聘して5世住持とし、朝日茶園のあった現在地に復興したのが今ある興聖寺である。
時を知らせる開梆(魚梆)(かいぱん)、年季が入っています。
誕生仏(お釈迦様が誕生された姿の像)。
平安時代の参議で歌人でもある小野篁(おののたかむら)作という木造の聖観音菩薩立像(平安時代後期)。
三面大黒天、『大黒天』『毘沙門天』『弁財天』の3つの顔を持つ仏様。
参禅道場
毎月第1日曜、第3日曜の9時から坐禅会が行われる。
塔の島十三重塔相輪
塔の島(宇治公園)に、十三重塔が立つ。
鎌倉時代、1286年に、奈良・西大寺の僧・叡尊により立てられた。
宇治橋の架け替えに際しての供養塔だった。
現存最大、最古の石塔とされている。
その後、洪水、地震などにより幾度も倒壊し再建された。
江戸時代初期、興聖寺開基・永井尚政が修復する。
十三重塔は、近代、1908年に再建されている。
その際に、使用されなかった旧相輪、九重目の笠石が尚政ゆかりの当寺に移された。
現在は、庭にあり、笠石の上に相輪が立てられている。
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