延暦寺の里坊を代表する滋賀院門跡

滋賀県


坂本の町には、穴太(あのう)積みの石垣が見事な里坊が数多く残っていますが、中でも滋賀院門跡はひときわ背の高い石垣と白壁に囲まれて、延暦寺の本坊らしい堂々とした外構えを見せています。

1615年(元和元年)江戸幕府に仕え「黒衣の宰相」とも称された天台宗の僧天海が、後陽成天皇から京都法勝寺を下賜されてこの地に建立した寺。

滋賀院の名は1655年(明暦元年)後水尾天皇から下賜されたもの。

滋賀院御殿と呼ばれた長大な建物は1878年(明治11年)火災により焼失し、比叡山無動寺谷法曼院の建物3棟が移されて再建された。

芭蕉句碑

叡慮にて賑ふ民や庭竈

「庭竈」とは、正月三が日間、土間に新しい囲炉裏を切って薪を焚き、囲りに主人家族、奉公人らが集まって大服茶、酒、焼餅などを飲食して団欒する民間行事。

正面の勅使門(御成門)は門跡寺院の風格がある。

二階の東側の障子を開けると琵琶湖が見え、その向こうに遠く近江富士(三上山)がくっきりと浮かぶ景色は良い眺めで、いかにも天台宗の偉い地位に就いた人の隠居所という感じ。

滋賀院庭園 – 伝小堀遠州作

縁側の下はすぐに池になっており、池の中央には5mもある実に立派な石橋が架けられている。

石橋を渡ると滝口があり、権現川の水を取り入れた清流が、音を立てて勢いよく流れ落ちる。

「羅漢の間」の奥には「座主接見の間」があり、天台座主の公式儀式や接見は全てこの間で行われた。
一段と高い上段の間があり、厳かな雰囲気が漂う。

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