1813年(文化10年)外村与左衛門との共同事業から独立商いを始める。
努力の結果東京、横浜、京都、福井などに支店を持ち、商圏を広げ、明治時代には長者番付けに名を載せ、豪商となる。
滋賀県の旧家では、おなじみの川戸は、家の中に水路を引き、台所で使用した水を排水して、そこに、たまった食べかすなどが鯉のエサになっている。
屋敷は家業の繁栄とともに大きくなり、庭も神崎郡内一といわれていた。
現在、てんびんの里伝統家屋博物館として公開している。
商人たちが担いだ荷物、何とか持ち上げられるがとても担いで歩けたものではない、10㎏の重量があったと。
江戸中期の作と伝わる外村宇兵衛邸の「御殿びな」は、二畳敷きの大きさの飾り台に、平安時代の宮中の宴を再現しており、宴の準備をする官女や男たちの人形も並んでいる
近江商人たちは、郷里を離れることなく、金堂の本宅を守り進んで社寺や公共のために出資しました。
近江商人の商いの特徴として、次の四点があげられている。
まず、商いの形は行商形態をとり、呉服・太物・麻布・蚊帳・漆器・小間物・合薬など多種多様な商品を扱っていた。
次いで活躍の舞台として、近江商人は全国各地に支店を出していることが特徴である。
3番目に、近江商人は商業だけでなく、金融業・製造業・油絞業・漁業などに経営を広げている点も注目されている。
そして4番目には、経営の合理性があげられ、共同企業形態をとるものや会計帳簿作成などの経営方式を取り入れていた。
その経営活動を支えていた精神は、勤勉・倹約・正直・自立の精神であると言われる。
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