JR福知山線、生瀬・西宮名塩~武田尾廃線跡をウォーク。
昨年の5月から11月にかけて、この廃線跡が整備され、11月15日からハイキングコースとして開放された。
スタートから10分、福知山線に別れを告げいよいよ廃線跡へ。
のどかな残り柿の風景を楽しみながら名塩川をたどる穏やかなハイキングコース。
高座岩
渓谷中にある武庫川左岸に鎮座する渓谷で最も大きな岩石とされる「高座岩」及びその上流にある「溝瀧」では明治時代頃まで現在の伊丹市や尼崎市で農耕を営んできた農民らによる村々での雨乞いの風習が存在し、降雨がない干ばつが続いた年には「此の岩は近郷の信仰ある岩にして、旱魃にならば雨乞を執行する場所たり」「其の儀式は動物の生血を塗るにあり」「然らば天其の汚を厭ひ、洗い去らんが為めに雨を降らすといふ」「其の血は、武庫、川辺両郡は純白色の馬の血を塗るを例とす」と降雨を祈る特異な雨乞い儀礼が実在した。
最初のトンネル(北山第一トンネル)に到着。
このトンネルは営業していた当時、改良のために後から作られたもので、更に昔の旧線跡がトンネル右側に続いています。
トンネルは全長319m。
照明もなく、かすかにカーブして長いため出口は見えません。
中は漆黒の闇となっています。懐中電灯は必携です。
トンネル内に生息しているコウモリ。
北山第二トンネルは全長413メートルとコース最長のトンネル。
枕木も残っています。
紅葉真っ盛り、訪れたウォーカーは出発の生瀬駅では黒山の人だかり。
この辺りは岩山、急流と見ごたえのある景色が続く。
地質は凝灰岩等を主体とする流紋岩類からなり、有馬層群と呼ばれる。
これは1億年ほど前の白亜紀に火山噴出物が堆積したと考えられている。
広角で渓の全容を。
武田尾渓谷
約100万年前に起こった「六甲変動」と同時期にこの地域も隆起したが、河床は、そのままの位置を流れる先行河川が形成された。
先行谷とも呼ばれ上流にあるはずの渓谷が、下流に近いここでその景観を楽しむことが出来る。
今日はここで見事な景色を楽しみながらの昼食。
溝滝尾トンネルを抜けると赤い橋梁が出現。
トンネルから続く武庫川本流に架かる鉄橋の名前は、この記録中では4番目なので4号橋梁でもよいのだが「第2武庫川橋梁」という名前が付いている。
整備以前は橋梁は渡れず、犬走りのような保線用の側道を渡っていた。
長尾山第一トンネルを抜ける。
廃線跡はJR福知山線生瀬(西宮市)-武田尾(同県宝塚市)間の約4・7キロ。
旧福知山線廃線跡 旧福知山線は明治32(1889)年阪鶴鉄道として建設、明治39(1906)年国鉄になり、昭和61(1986)年の複線電化に伴いトンネルが多い新線に付け替えられ、武庫川の渓流沿いを走る路線は廃線となった。
その後管理されていないため自己責任でということでハイキングが黙認されていた。
このうち宝塚市内の約1・5キロは、無償で貸与を受けた市が遊歩道を整備。
一方、西宮市内の約3・2キロには鉄橋やトンネルもあり、JR西は周囲を立ち入り禁止としていたが、春にはサクラ、秋には紅葉が楽しめるハイキングコースとして人気を集め、通行を黙認する状態が続いていた。
しかし、平成20(2008)年にハイキング客の転落事故が発生。
昨年の5月から11月にかけて完全に通行止めとした上で、簡易トイレや鉄橋への手すりの設置、トンネルの補強などが整備され、11月15日からハイキングコースとして開放された。
最後のトンネル、長尾山第三トンネル。
側壁分は表面が平らな大きさがばらばらの石を積んでモルタルで固めている。
その上のアーチ部は煉瓦を長手積みにしていて、煉瓦は変色し灰色や黒くなっていいるものがほとんどだ。
終着の武田尾駅に到着、駅はトンネルの中にあり、洞窟トンネルとでもいう雰囲気。
西宮のマンホールのふた、酒蔵や酒樽、甲子園球場、市の花「サクラ」のデザイン。
宝塚汚水管デザインマンホールのふた。
中央に市の花「スミレ」、周りにあるのはベルか鐘でしょうか。
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