ならまちの家の軒先に赤いぬいぐるみがぶら下がっている。
これは、「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしている。
「庚申信仰」に関しては諸説があるが、中国の道教の守庚申というのが、奈良末期に日本に伝来され、日本固有の信仰と交じり合い発展したのではないかといわれている。
仏教が極楽往生を説くのに対し、道教では現世利益が叶えられるとあって江戸時代には民間信仰として庶民に広まった。
「庚申」の日の夜には人々は寝ずに一夜を明かす守庚申を行います。
言い伝えによると、人のお腹のなかには「三尸の虫」という虫がいて、庚申の日の夜に人々が寝静まってから体からぬけだし、その人がしてきた悪事を天帝に告げにいくといわれています。
すると、天帝が天の邪鬼に命じてその人に罰を与えるので、人々は三尸の虫がぬけださないように寝ずに過ごしたというわけです。
それでも心配な人は天の邪鬼が嫌いな「身代り申」を家の中に吊るし、三尸の虫の嫌いなコンニャクを食べて悪魔を退散させる。
庚申堂では毎年3月の第2日曜と11月23日に、「庚申まつり」が行なわれ、参拝者に大根とこんにゃくの田楽がふるまわれる。
庚申堂の屋根上には見ざる、言わざる、聞かざるの像が並ぶ。
奈良町の伝説では、悪病や災難を持ってくるという三尸の虫は猿が毛づくろいする姿をみて、自分たちを食べる様子に見えたので、恐れをなして逃げたという。
そこで、人々はいつも家の軒先に猿を吊るして三尸の虫を退散させ、悪病や災難が近寄らないようにおまじないをするようになったといいます。
身代わり申の数は、家族の人数やお願いごとの数をあらわしていて、背中に願いをかいて吊るすとお願いを叶えてくれると信じられています。
吉祥堂には多くの身代わりざるがつるされている。
この猿は、江戸時代から奈良町で吊るされるようになったといわれる。
災いを代わりに受けてくださることから「身代り申」とよばれている。
また、背中に願い事を書いてつるす「願い申」ともいう。
奈良町の身代わり猿は紅白の色をしていますが、八坂庚申堂のくくり猿はバリエーションに富んでいて、実にカラフル。
よく飛騨地方の「さるぼぼ」と同じものだと思う人がいますが、さるぼぼは災難除けや家族円満のお守りですので全く別モノ。
奈良町資料館にも青面 金剛像(しょうめんこんごうぞう)をまつり、庚申信仰が受け継がれている。
「庚申さん」と親しみを込めて呼ばれている「庚申」とは「かのえ・さる」つまり十干(甲乙丙・・)と十二支(子丑寅・・)の組合せによるもので、昔は月日をこのようによんた゛。
その組み合わせは60通りあり、60日に一度めぐってきます。
奈良町資料館にある身代わりざるの返納所。
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ここは本邦最初の庚申さん。
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三丁町にも庚申堂があり、家々には身代わりざるが吊るされる。
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庚申堂へのアクセス、行き方歩き方
奈良市西新屋町39
JR奈良駅から徒歩20分
近鉄奈良駅から徒歩15分