風の教会 ミーツ・アート芸術散歩


風の教会は、兵庫県神戸市灘区の六甲山上にある教会堂。

所在地から六甲の教会とも呼ばれる。
竣工は1986年、設計は後年(1996年)国際教会建築賞を受賞する安藤忠雄が手掛けた。

南仏プロヴァンスの「セナンク修道院」から影響を受けたとされコンクリート打ち放しの躯体に直方体の塔が載り柱廊はすりガラスの半透過の空間が特徴的。

当初は六甲山中腹の六甲オリエンタルホテルの庭園内に位置していた。

素材を生かした簡素な建物で、礼拝堂へ続くコロネードにはガラスが、堂内の十字架はRCフレームが用いられている。

教会を肉体に見立てて描かれた天井画のアニメーションは、本展のために制作された貴重な作品。

「天井画はその空間を延長する役割を持つ」との本人の言葉通り、天井から拡張した映像がこちら側へ迫力を伴って向かってくる。

天井のシミや傷も作品の一部のようだ。
一切の装飾がない風の教会だからこそ、より際立つ個性。

映像を観ながら、自分の身体に湧き上がってきたものをじっくりと感じてみよう。

礼拝堂内の一番後ろには小さなオルガンがある。
コンクリート打ちっぱなしの小さな礼拝堂内であることもあり、非常に強い音の反響がある。

以前は自由に見学できたが、六甲オリエンタルホテルが2007年6月15日限りで営業を終了したため、当分見学は出来なくなった。

2015年秋に六甲山上の観光施設を会場として開催された現代アートの祭典「六甲ミーツ・アート 芸術散歩2015」では、風の教会内に作品が展示され、内部を見学できた。

この催しはその後も定期的に行われているので、この催しが一般人が風の教会を見学できる最も手軽な方法である。

3年前の「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」の記事。
風の教会
兵庫県神戸市の六甲山の頂き近くに立てられた教会堂、通称・風の教会。 大阪府茨木市 … 続きを読む →


六甲スカイヴィラ迎賓館

六甲スカイヴィラは瀬戸内海国立公園内の「六甲山 標高931m」にある山岳リゾートホテル。

『天空の楽園』をコンセプトに1000万ドルの夜景や、四季折々の自然など神戸の「海」「山」「空」を思う存分楽しめる。

「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」で展示作品、個性的な作品が・・・・

少し不気味でもある。

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嵐の六甲ガーテンテラス


あまりの寒さにガーテンテラスへ移動。

標高890mに位置する複数の展望テラスを中心とする複合施設。

それまで敷地内にあったホテルや展望施設を撤去し、2003年4月にリニューアルオープンした。

園内のいたるところから神戸市街や大阪湾を見渡すことができる。

リニューアルで誕生した西側の施設群は英国調に統一されている。

雲が出て強い風が吹きつける。

右上に見えるのはガス、嵐の予感。

強風にススキが煽られ異様な雰囲気になってきた。

ススキが気になりススキばかり激写。

雲の下は光る海・・・・画像をクリックすると拡大出ます。

吹き付ける風に雨が混じりだした、六甲ビューパレスへ避難しよう。

画像は六甲枝垂れ

1957年開業の十国展望台が2002年に老朽化したために閉鎖になった跡地に、経営する「山の上に立つ一本の大きな樹」がコンセプト。

テラス内の東側にある「見晴らしのデッキ」からの眺め。

一面ガスに埋まってしまった。

本来なら神戸から大阪にかけてを一望できるのだが、一面白い世界。

静止画像で良く分からないかもしれないが、ガスが激しく流れています。

先ほどまでいた見晴らしのテラスが霞んでいます。

激しい雨嵐を凌ぐこと小1時間、少しずつ晴れ間が見えてきました。


それでもまだガスは激しく流れています。

まだ激しくガスが流れていますが、青空が見えてきました。

雨が小止みになり、デッキには人影が・・・・

ここから先、雲の形が激しく変わります、面白くて撮っているときりがないくらい。

そろそろ次に行くことを考えなきゃ。

神戸空港がよく見えています、拡大して見てください、右手、海の中に誘導灯が伸びています。

拡大して見てください、関空が見えています、連絡橋の先に空港島が見えます。

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秋の 六甲高山植物園


六甲山を登るケーブルカーだが、六甲山最高峰の山頂は3.7kmほど北東にある。

六甲山上駅ではケーブルカーと同じく六甲山観光が運行する六甲山上バスに接続しており、バスと六甲有馬ロープウェーを乗り継いで有馬温泉へ抜けることもできる。

アールデコ調の六甲山上駅の駅舎は創業当時のもので、大切に保存されている。

六甲山上駅のから眺望、前日からの雨が今朝止んで、今は御覧の通りの快晴。

例年であれば紅葉が始まる時期だが、今年は異常気象で前日まで夏日だった。

それでも一部は紅葉が始まっている。

しかし、今日は夏日からいきなり11月の気温となり、時折強風が吹きつけて寒い。

シクラメン・シリシウム

モウセンゴケ・アリキアエ

植物学の第一人者・牧野富太郎博士の指導を受けて1933年6月24日に開園し、1955年に博物館相当施設の指定を受けた。

園は海抜865mに位置するため年平均気温は北海道並の約9°Cである。

この気候を利用して世界の高山植物、寒冷地の植物など約1,500種の植物を栽培している。

ヒダカミセバヤ

ツリガソウかな

アサギリソウ

キクバヤマボクチ

ダイモンジソウが群生している。

湿生植物区(西入口前)
高原の湿地に生える植物を栽培しています。

池には鯉が放流されており、人が近づくとえさを求めてやってくる。

皇室と六甲高山植物園

六甲高山植物園は、その学術性から皇室の訪問(行幸・行啓)をたびたび受けている。

1958年には上皇が皇太子時代に訪れた。

上皇が皇太子時代に訪れた時に、園内に架けられた吊橋には「プリンス・ブリッジ」と名づけられたが、その後老朽化により2回架け替えられた。

2代目からは吊橋ではなくなったが、2代目の橋は木製の装飾により、現在の3代目は装飾のワイヤーにより吊橋の雰囲気を出している。

1971年には今上天皇が立太子前の学習院初等科在学中に訪れた。

1981年には、昭和天皇が神戸ポートアイランド博覧会視察のため、神戸を訪問した際に当園を訪れた。

園内には昭和天皇の行幸記念碑が設置されている。

また、昭和天皇は満開のエンコウソウ群落に特に関心を示した。

昭和天皇の帰京後、宮内庁を通じてエンコウソウの譲渡の要請があり、30株が皇居吹上御苑に献上・移植された。
園内には皇室三代訪問時の記念植樹もある。

過去の訪問記録

春の六甲高山植物園
六甲山上も春です、新緑とオオヤマザクラのコラボがきれい。 ユキモチソウ。 サトイ … 続きを読む →

初夏の高山植物園
ムサシアブミ 地面から立ち上がる第一の葉柄の途中から二番目の葉柄が分岐し、その途 … 続きを読む →

夏の六甲高山植物園1/3
六甲高山植物園では世界や日本の高山帯に咲く約1500種の四季折々の植物に出合える … 続きを読む →

夏の六甲高山植物園2/3
アサギリソウは、北陸地方や東北地方以北の岩場に見られるヨモギの仲間。 全体に白い … 続きを読む →

夏の六甲高山植物園3/3
コウホネ、浅い池によく見かけるが、流れの緩い小川に出現することもある。 根茎が骨 … 続きを読む →

六甲高山植物園に初秋を訪ねる2/3
今上天皇が皇太子時代に訪れた時に、園内に架けられた吊り橋には「プリンス・ブリッジ … 続きを読む →

六甲高山植物園に初秋を訪ねる 1/3
まだまだ日中はうだるような暑さが続いているが、夕方ともなるとどこからともなく虫の … 続きを読む →

六甲高山植物園に初秋を訪ねる3/3
2008年6月に六甲高山植物園はスイスを代表する高山植物園とされるベルン州インタ … 続きを読む →

ヒマラヤの青いケシまだ見頃 高山植物園
高山植物園ではヒマラヤの青いケシがまだまだ見頃です! メコノプシス・ベトニキフォ … 続きを読む →

紅葉シーズン到来 六甲高山植物園
六甲高山植物園は植物学の第一人者・牧野富太郎博士の指導を受けて1933年6月24 … 続きを読む →

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なぎさ海道散策


駅舎はJR西日本グループのショッピングセンター(JR西日本アーバン開発)、ピオレ明石及び山陽電鉄明石駅と一体化している。

明石城はJR明石駅北側に位置し、駅ホームより間近に望める。

縄張りは連郭梯郭混合式の平山城である。

丘陵舌端に築かれ、本丸付近は柿本人麻呂を祀った人丸塚があったと言われており、この地は嘉吉の乱で激戦地となった。

今から400年前の1619年(元和5年)に、初代明石藩主小笠原忠政(後の忠真)が外様大名の多い西国の備えとして、徳川幕府2代将軍秀忠から命じられ築城されました。

本丸跡に建つ巽櫓・坤櫓は日本に12基しか現存していない三重櫓のうちのふたつで、国の重要文化財に指定されています。

人丸山の地の利を利用し、三木城、高砂城、枝吉城、船上城の木材を使用し着工され、坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城の遺材が使用されたと伝えられている。

築城と並行して城下町の町割りも実施され、当時小笠原忠真の客分だった宮本武蔵が指導したと『赤石市中記』『播磨鑑』『播州明石記録』『小笠原忠真一代覚書』など各史書に記録されている。

岩屋神社

社伝によると、成務天皇13年6月15日に天皇の勅命により、淡路島の岩屋より神を勧請して創祀されたと伝えられる。

同年夏に当地の子供に淡路島の岩屋の神が懸かり、当地に勧請するようお告げがあり、勧請したという伝承もある。

旧波門崎燈籠堂(通称 明石港旧灯台)は石造の灯台で、1657年に当時の明石藩主 松平忠国によって作られたと伝えられている。

古代明石港は明石川河口にあったと推測されているが、1621年 当時の明石藩主 小笠原忠真によって城造り、町造りの一環として砂浜に掘り込みを行い新たに明石港が作られた。

明石海峡大橋架橋以前は、岩屋港(播淡聯絡汽船・淡路連絡汽船・明石淡路フェリー)、富島港(西淡路ライン)など淡路島へ旅客船が頻発していた。

架橋にともない航路・事業者が再編されたものの、旅客減により航路廃止が相次ぎ、富島航路が休止となった2008年5月19日以降は、淡路ジェノバラインによる岩屋航路のみが発着している。

内港は小船がひしめいてどうやって外に出るのかなと心配するほど。

魚の棚(うおんたな・「うおのたな」或いは「うぉんたな」とも)は、兵庫県明石市本町一丁目にある商業地区。

鮮魚店が多いのが特徴で、県外からの客も多く明石の観光地としても重要な位置を占めている。

過去にはマルハの創始者中部幾次郎の林兼商店(はやしかねしょうてん)などもあった。

とくに、海峡付近や播磨灘一帯で採られ明石漁港から水上げされた新鮮な魚介類を「前もの」と呼び、「明石鯛」「明石蛸」を筆頭に活きの良さを売り物としている。

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明石文化博物館

明石市立文化博物館は明石駅からほど近く、1991年10月、明石海峡を望む高台に開館。

明石の歴史と文化を「自然環境と人々のくらし」と題して八つのテーマで紹介する常設展示のほか、特別展や企画展などを開催しています。

200万年前に棲息した「アカシゾウ」の実物大模型。

アカシゾウは、明石市とそのまわりの地域から多数の化石が見つかっています。

特に1960年代までは、林崎から江井ヶ島までの海岸の崖からよく発見されました。

た、明石海峡からは現在でもしばしば漁船の網にかかって引き上げられています。

アカシゾウは、象としては小型で今の象と比べると胴の長さのわりに足が短く、肩の高さは大きな個体でも2mくらいでした。

甕、赤根川金ヶ崎窯。

明石の漁業

明石市は、明石海峡のもたらす影響により、地先海域は起伏に富んだ海底や複雑な潮流から瀬戸内海有数の好漁場であり、古くから漁業が盛んな地域です。

当地域で、営まれている漁業は、5トン未満の小型漁船を使用した小型底びき網、船びき網、たこつぼ、一本釣り、ひきなわ、はえなわなど多種多様な漁船漁業に加え、漁業者の約半数が従事するノリ養殖漁業であり、水揚げされる魚介類は「明石だこ」「明石鯛」「明石のり」をはじめ四季折々に多種多様です。

浮樽

昔の網漁のウキ。
上部の筒の中に油をしみこませた布や縄を入れ、それに火をつけて目印にした。

明石海峡のジオラマが展示されている。

明石沖で深く切れ込んだ海溝は不気味なほど、我々は普段意識することなくこの海峡を行き来している。

新門司へのフェリーで何度この海峡を行き来したことか、海峡の深さを意識することなく・・・・・

日の出の瀬戸内航路
早朝5時小豆島沖を航行中、闇には灯台の灯りが時折り灯る。 低い雲間からの日の出。 … 続きを読む →

明石海峡大橋を過ぎたあたりは好漁場なのかおびただしい数の漁船が出漁中。
遠景に湾岸道路、京阪神の街並み。

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柿本人麻呂を祀る柿本神社


柿本神社人丸山西麓の西鳥居。

亀の水(亀齢水)

人丸山西麓の西鳥居前に湧く地下水。
延命長寿の水としての信仰を有する。

元禄12年(1699年)、現在の西参道を造営するに際して手水舎として設けられたのが始まりという。
現存する手水鉢は享保4年(1719年)に飯塚宣政によって寄進された。

明石天文科学館展望室からの柿本神社。

人丸山の頂上に鎮座するが、山名も当神社に因むもの。
旧社格は県社。旧くは「人丸神社」と称し、地元では「人丸さん」とも呼ばれる。

柿本大明神とも称される柿本人麻呂朝臣を祀る。

嘉暦2年(1327年)に著された『人丸縁起』によると本地仏は十一面観音で、その像は旧別当寺として隣接する月照寺に祀られている。

ただし創祀の事情に関しては、人麻呂が水死させられたという説があるので本来は非業の死を遂げた人麻呂の怨霊を慰めるために祀られた可能性、あるいは『古今和歌集』に詠み人知らずの歌として「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れゆく舟をしぞ思ふ」という歌が載せられ、左註に「ある人」の言として作者は人麻呂であるとされ、神社ではこの歌を縁起として重視していることと、人麻呂が文武天皇から下賜された船乗十一面観世音の仏像が大和国の柿本寺という寺にあったのを覚証が迎えて楊柳寺の奥の院に祀ったところ仏像の胎内から『和歌秘弁抄』なる書物1巻が出たとの伝承があることから、和歌を含めた秘事口伝が重んじられるようになった時代に「ほのぼのと」の歌が人麻呂作と信じられそのことが直接の契機となって、神社が創祀された可能性が考えられる。

因みに当神社と密接な関係を持つ月照寺の寺伝によれば、覚証は大和国の広安寺なる寺から人麻呂の念持仏であった船乗十一面観世音を勧請して楊柳寺の奥の院に祀ると共に寺号を月照寺と改めたといい、また同寺では「ほのぼのと」の歌に「初生(ほのぼのと) 娑婆世界(あかしがうらの)朝立霧(あさきりに) 四魔滅(しまかくれゆく) 念仏(ふねをしぞおもふ)」との字を充て、各句を発心大円鏡智(生)、修行平等性智(老)、菩薩如観察智(死)、涅槃成行作智(病)、法界体性智(苦)の「生老死病苦」という仏教的摂理で解釈している。

811年(弘仁2年)空海がかつて明石城のあった赤松山に創建した湖南山餘鵜楊柳寺にはじまると伝えられている。

1618(元和4)年に明石城築城に伴い柿本神社とともに現在の位置に移った。

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万葉集と古代史の謎を訪ねて 阿騎野
現在県宇陀郡大宇陀町を中心としたこの一帯は、飛鳥時代には菟田の「阿騎野」と呼ばれ … 続きを読む →

中山正實画伯の壁画「阿騎野の朝」をもとに作られた柿本人麻呂像。

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宮本武蔵作庭園の残る 雲晴寺


1639年 (寛永16年)、明石藩主大久保忠職とその姉桃源院(東丸様、元安房館山藩主里見忠義正室)は、不遇の死を遂げた忠義の菩提を弔う為、ここにあった寺院の伽藍を整備し寺領を増やして供養を行い、里見忠義の法名「雲晴院殿心窓賢涼大居士」からとって雲晴寺と名が改められた。

本堂裏には戦前まで宮本武蔵作と伝えられる庭があったが、1945年(昭和20年)7月の大空襲によって雲晴寺は山門を残して全焼し、庭も戦後復興の過程で埋められた。

2003年(平成15年)、本堂建設に伴う発掘調査により庭園の一部が見つかり復元。

その後武蔵の孫弟子にあたる柴任三左衛門夫妻の墓石が発見され、武蔵ゆかりの寺院の裏付けが濃くなった。

軒を支える邪鬼

山門を入ってすぐ左手に、台座の上に立つ地蔵菩薩像があります。

花崗岩製で、高さ約1.5mの舟形光背面に浮彫りされ、左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。

これは江戸時代前期のもので、地蔵菩薩像として非常に貴重なものであります。

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子午線の街明石


明石市立天文科学館は、兵庫県明石市にある、日本標準時子午線上に建つ「時と宇宙」をテーマとした博物館。

手前のドームがプラネタリウム投影室。

壁面に子午線の街のイラストが・・・・

一番館の玄関横を通る子午線上に漏刻が設置され、また「JSTM」(Japan Standard Time Meridian=日本標準時子午線)と表示された時計塔がある。

この塔は東経135度の日本標準時子午線の直上に建設されており、日本標準時子午線を示す標柱の役割もある。

漏刻について

近江神宮の御祭神天智天皇は、その10年(671)4月25日に漏刻を作り、大津宮の新台に置いて鐘鼓を打って時報を開始されました。

その10年ほど前、斉明天皇の6年(660)にも中大兄皇子が漏刻を作られたとの記述があり、どちらにも「初めて」と書かれているので、その関係はよくわかっていません。

そして斉明6年の方には日付がないので、天智10年のその日を太陽暦(グレゴリオ暦)に直して6月10日を時の記念日とされました。

飛鳥資料館
1970年閣議において飛鳥地域の出土品などを保管するための施設の建設が決定され、 … 続きを読む →

漏刻とはサイフォンの原理を利用した水時計。

当館の模型は中国の故宮博物院に遺されている清代の漏刻を参考にしている。

漏刻の目盛りは現在時11時20分を指している。
「あきつ」の古名を持つトンボがメモリに使われている。

展望室からは明石の街が一望。

天文学では、地平線上の真北から天頂を通って真南へ至る天球上の仮想的な大円を子午線と呼ぶ。
従って北半球では天の北極、南半球では天の南極が必ず子午線上にある。

1884年、国際子午線会議で英国グリニッジ天文台を通る子午線を世界の時刻の基準となる本初子午線とし、そこから15度離れるごとに1時間ずつ時差のある時刻を各国が採用することを決めた。

日本標準時の基準となる東経135度子午線は、明石市を含む12市を通っています。

北から京丹後市、福知山市(以上京都府)、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市西区、明石市、淡路市(以上兵庫県)、和歌山市(和歌山県)です。

それぞれの町には、目には見えない子午線を表示する標識やモニュメントが建っています。

早い者勝ちで決まった「日本の標準」・・・・嘘のような本当の話。

日本標準時の制定は86年。
明石市最初の標識はその14年後、標準時子午線の重要性をいち早く認識した明石郡校長会が立てたものだ。

この標識は場所は移ったが、今も明石市天文町の交番前にある。

明石市立天文科学館から南に延びる子午線のライン、5最初の標識とある地点が今も明石市天文町の交番前にある。

公園にある「時のふるさと明石」の像、子供たちが背負う地球儀にもちゃんと子午線が引かれている。

柿本神社前の水平日時計。

東経135度をしめす標柱、高さ7m・直径15cmの鉄柱で、上部に地球の子午線を象ったカゴ球がのり、トンボが上に止まっています。

日本の古名《あきづしま》に因むトンボ(あきづ・あきつ)です。

夜には、カゴ球の内側に赤いランプが点灯します。

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秋の円教寺


書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝えられる。

もとは素盞嗚命が山頂に降り立ち、一宿したという故事により、「素盞ノ杣」といわれ、性空入山以前よりその地に祠が祀られていたといわれる。

山号の由来はこの「素盞(すさ)」からのものといわれ、姫路市と合併する以前は、飾磨郡曽左村と呼ばれていたが、この「曽左(そさ)」も素盞に由来する。

湯屋橋: 湯屋橋摩耶殿の前面にある石橋で橋脚や、床版、欄干などが石造、宝珠が銅製となっている。

元和6年(1620)、姫路藩主となった本多忠政は円教寺に帰依し、大破していた湯屋橋を修築しています。

湯屋橋には「奉寄進 播州飾西郡書寫山圓教寺御石橋 願主 本多美濃守忠政」の銘が刻まれています。

護法石(弁慶のお手玉石) – 摩尼殿の手前にある直径約1 mの2つの石で、不動明王の化身である乙天(おつてん)と毘沙門天の化身である若天(わかてん)の2童子が降り立ったと伝えられる。

また、弁慶がお手玉にしたともいわれる。

武蔵坊弁慶は、一時期、書写山で修行したとされており、机などゆかりの品も伝えられ公開されている。
ただし史実である確証はない。

小さなお地蔵が沢山並んでいてかわいい。

突然視界に現れ、圧倒される摩尼殿。

円教寺は、本尊は如意輪観世音菩薩(如意輪観音)。
西国三十三所第27番。

現住職は第140世。
宗教法人としての名称は常用漢字体の「円教寺」である。

西国三十三所のうち最大規模の寺院で、「西の比叡山」と呼ばれるほど寺格は高く、中世には、比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称された巨刹である。

京都から遠い土地にありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かった。

秋空に映える摩尼殿。

摩尼殿から見下ろす、葉月茶屋は山内唯一の食堂。

樹間のうっそうとした道を三つの堂へ向かう。

左より常行堂・食堂・大講堂。

この大講堂・食堂・常行堂がコの字型に並び、三つのお堂を総称して「三之堂(みつのどう)」。

見事に掃き清められた、コの字の真中に当たる空間部分は大きな伽藍3つに囲まれ、何か世界が違うような…不思議な静寂を生み出しています。

そしてそのシーンのロケ地がこの圓教寺の常行堂。最初、圓教寺はロケ地の予定になかったそうですが、姫路城を視察に来たスタッフが時間が余ったためこの圓教寺を訪れ、エドワード・ズウィック監督が一目ぼれしてここでの撮影を決めたそうです。

護法堂

開山堂(重要文化財) – 宝形造(方形造)、本瓦葺、桁行5間、梁間6間。

開山の性空を祀る。寺記によれば、性空が没した寛弘4年(1007年)、性空の高弟・延照が創建したとするが、現在の堂は江戸時代初期、寛文11年(1671年)に再建されたものである。

軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。

奥の院から摩尼殿へ向かう、樹齢700年の大杉などもあり、深い樹林を進む。

ロープウエイ三条駅へ向かう。

山上駅から仁王門へ至る参道は「西国巡礼の道」と称され、左右に、西国三十三所の各札所本尊を表した銅像が設置されている(1989年完成)。仁王門を通り、寿量院、圓教寺会館、十妙院を過ぎると、参道は「権現坂」と称する下りの階段になり、下りきったところが摩尼殿の縁下である。

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太陽公園 城のエリア


「城のエリア」は2009年(平成21年)4月19日にオープン。

2006年(平成18年)から建造され始めたこの城はドイツ南部にある有名なノイシュヴァンシュタイン城と非常に良く似ている。

世界で一番美しいと謳われる、ドイツにあるノイシュバンシュタイン城を3分の2スケールで再現。

なお、白鳥城へのアクセスは専用のモノレール(嘉穂製作所製のスロープカー)を利用するか徒歩で山を登ることになる。

モノレール始発駅になる山麓にはレストラン、土産物店などを備えたウェルカムハウス「スワン」が在る。

お城の中はトリックアートが展示のメインになっている。

少し怪奇な雰囲気。

お城の壁面にはかわいい少女像。

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