旧居留地 散策


旧居留地とは、かつて主に安政五カ国条約により外国の治外法権が及んでいたことのある区域を指す。

神奈川県横浜市、大阪府大阪市、兵庫県神戸市、長崎県長崎市の旧居留地が有名。

関西旅行・ツアー・観光

神戸の旧居留地は、北は西国街道、東は旧生田川(現在のフラワーロード)、西は鯉川(現在の鯉川筋)、南は海に囲まれた周囲と隔絶されていた地区で、そこにイギリス人技師J.W.ハートが居留地(神戸外国人居留地)の設計を行い、整然とした西洋の街を造り上げた。

画像は「球体のある風景」

その後、東西の川は移設(付け替え)や暗渠化によって道路となったが、現在も道路を越えると街の雰囲気が一変する。

1868年(明治元年)から1899年(明治32年)の返還までに、外国人に126区画に分けて競売された治外法権の場所であった。

やがて、居留地の外国人が山手に住居を構えるようになったのが、北野異人館街である。

当時、条約の未締結国であった清国から神戸に渡ってきた華僑は、居留地には住むことができず、その西側に多く住み着き、南京町といった中華街を築いていった。

居留地に対してこれら西側のエリアを雑居地といった。

旧居留地38番館

昭和4年(1929年)にナショナルシティバンク神戸支店として竣工。
神戸女学院や関西学院大学などを手掛けたヴォーリズ建築事務所の設計。

名称にある「38」という数字は、外国人居留地時代の区画番号を意味する。

1980年代までは、「老朽化した古いビルのオフィス街」という認識であったが、1988年に起こった旧神戸商工会議所ビルの保存運動が街再生のきっかけとなる。

商工会議所ビル自体は解体されたが、居留地の一角を占める百貨店大丸神戸店が自ら所有していたヴォーリズ設計の近代建築をLive Lab West(現旧居留地38番館)として店舗化し、さらに周辺の近代西洋建築へ高級ブティックを積極的に出店していった。

それによって近代建築オーナーの意識も変わり、近代建築が点在するのではなく「街並み」として「面」として存在することの価値を認識するようになる。

2000年代に入るとLVMHなどの外資ブランドが直接参入し、今では「最も神戸らしい洗練された街」として活況を呈するようになった。

これは市民運動と商業資本のコラボレーションの成功例として特記に値する。

1992年に国土交通省の都市景観100選に選定、2007年には旧居留地連絡協議会が日本都市計画学会の最高賞である石川賞を受賞[1]している。

看板下の通路を入った場所の真っ赤な電話ボックスと噴水の女神様が目印!

この場所には「ニケの像」が設置されています。

ニケとはギリシア神話に登場する「勝利の女神」。

この像は震災以前は、トアロード玄関の柱に設置されていました。

当時は、神戸の街の特性を考慮して神戸店を船にたとえ、

安全で素晴らしい航海を祈願したものとされています。

震災の際も崩れることなく残っていたため、

彼女が掲げ持つ太陽が、神戸店の進むべき航路を

明るく照らしてくれることを祈り、この場所に復活させました。

散策していてもその洗練されたディスプレイは我々を飽きさせない。

一つ一つがおしゃれだ。

明石町筋から北を望む、一番気に入っている風景、遠景は神戸旧居留地(元町・三宮)にある結婚式場【神戸セントモルガン教会】

グランフロント大阪で開催されている『バンクシーって誰?展』を記念して、ウィンドウディスプレイを使った遊び心溢れる展示を展開。

ストリートアートでも注目の「バンクシー」の作品が、神戸店内の至るところにディスプレイされています。

家族の詩(うた)-憩う時
平成8年
綿引 道郎

第3回神戸須磨離宮公園現代彫刻展
神戸市長賞(大賞)

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ハーバーウォーク


ハーバーウォークとは、1992年の神戸ハーバーランド完成に合わせて旧神戸港信号所から煉瓦倉庫レストラン街横の船着場まで海沿いに整備された板敷きの道(ボードウォーク)のこと。

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等間隔に街灯とベンチが設置され、静かに海を眺めることができる。

神戸ガス灯通りの「カルメニ」というビルの前に銅製のキリン像が立っていて、いやおうでも、通りすがりの人達の目にとまります。
 
ちなみに、「カルメニ」とはカルチャーとアメニティーのことだそうです。
 
ネットで調べてみますと、高さは8m、第7回神戸具象彫刻大賞展にて神戸市長賞を受賞した作品で、正式な名称を「蒼天の塔(せいてんのとう)」といいます。

はねっこ橋の内側の護岸はドック状(本当のドックではない)になっていて、スリップ(スロープ)が設けられている。

ということは、ハーバーランドの開発当初から小型船の停泊や水陸両用車の運用を想定していたと思われる。

下の石の部分には、“八時間労働発祥之地”と刻まれている

実は、日本で最初に8時間労働制を取り入れた企業は、カワサキ(当時は川崎造船所)なのだ。

つまり、8時間労働制は、神戸で発祥したということ。
そして、それを記念して神戸ハーバーランドに建てられたのが、この像だ。

対岸には、川崎重工業第四ドックがある。

海上自衛隊の潜水艦が、修理中である場合や船舶が停留されていることが多い。

通りがかりの老人があれは5000トンの潜水艦だと教えてくれた。

潜水艦が定期修理のためドック入りすると、約70人の乗組員も工場内に寝泊まりし、自ら修理したり修繕作業を監督したりする。

家族を呼び寄せて、つかの間の水入らずを楽しむ隊員もいるという。

煉瓦倉庫レストラン街横の船着場まで海沿いに整備された板敷きの道(ボードウォーク)。

神戸煉瓦倉庫は貿易港として開発が進む神戸港に1890年作られた赤レンガの倉庫街。

昔は神戸港に到着した荷物の保管場所として機能していましたが、時代の流れと共にその役目を終え、現在はレストランや家具店などが入店する観光名所のひとつとなっています。

青雲丸 (初代)の代船として住友重機械工業横須賀造船所で建造され、1997年3月4日に進水、1997年9月25日に竣工した。

進水式には皇太子徳仁親王、皇太子徳仁親王妃雅子の行啓を仰いだ。船名板の船名「青雲丸」の文字は、当時の運輸大臣であった亀井善之揮毫による。

日本丸II世と姉妹船の海王丸II世(1989年(平成元年)就航)を見分けるための大きな違いは、船体横(舷側)の青いラインの数と舳先にある船首像である。

青いラインが濃く1本が日本丸II世、薄い青で2本が海王丸II世、日本丸II世の船首像は手を合わせて祈る女性の姿をしており、「藍青(らんじょう)」と名付けられている。

海王丸II世の船首像は横笛を吹く女性で、「紺青(こんじょう)」と名付けられている。

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一年牡蠣で有名 室津


今日のお昼は湾が一望の道の駅みつ(御津) 魚菜屋(ととなや)、シーズンには海鮮バーベキューや室津の焼き牡蠣も楽しめ、屋上はテラス席になっている。
海産物だけでなく、地元野菜や加工物等、土産物も多い。

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港町として約1300年の歴史を持ち、奈良時代に行基により5つの港が整備され、江戸時代には栄華を極め宿場町としても栄える。

多くの文豪、文人墨客を魅了し竹久夢二、井原西鶴、谷崎潤一郎、司馬遼太郎、つげ義春、平岩弓枝らが来訪し作品に描いた。

約2000年前、神武天皇の東征先導役が室津に港を建設したといわれる。藻

振ノ鼻(室津半島先端部)と金ヶ崎(たつの市・相生市境)で囲まれた室津湾の、さらに東側奥にあることから、「室の如く静かな津」ということで「室の泊」と呼ばれたのがその名の始まりと伝えられる。

江戸時代になると、参勤交代の西国大名の殆どが海路で室津港に上陸して陸路を進んだため、港の周辺は日本最大級の宿場となった。通常、宿場におかれる本陣は、1軒、多くとも2軒であるが、室津には6軒(肥後屋・肥前屋・紀国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋)もあった。

江戸参府で室津に滞在したシーボルトは賀茂神社参ろう所から見た播磨灘を「日本の美しい景色として」絶賛した。

しかし、明治に入ると参勤交代の制度が無くなり、鉄道・道路が内陸部に敷かれたため急速に衰退した。

帆船時代には瀬戸内海の重要な港として栄え、遊女発祥地として色々な伝説や悲話が残っている。

四国配流の途中、法然に室の遊女が結縁した伝承が示すように日本の遊女の発祥地といわれている。

有名な遊女は代々室君と呼ばれていた。

伝説に円教寺で修行していた弁慶が夜に山を下りて遊女のもとに通い、明け方には戻ったという。
ちなみに円教寺と室津は直線距離にして約20kmである。

賀茂神社(かもじんじゃ)は、兵庫県たつの市室津明神山にある神社。

本殿を含めて8棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。

別名を室明神社といいます。

平安時代に賀茂別雷神社の直系御厨の地になった、境内にあるソテツは野生のものでは日本列島の北限として県指定文化財にもなっています。

平清盛が厳島詣での折、この地に立ち寄り、神前に祈願した際、古びた5・6棟の社殿が立ち並んでいたと「高倉院厳島御幸記」に記されています。

また、江戸参府時にシーボルトが訪れ参籠所から播磨灘の展望を絶賛するなど景勝地としても有名。

唐門と東西の回廊、背後に社殿群がある。

岩見漁港方面に見える地肌の出た大きな岩は流紋岩で、太古の昔、溶岩が流れ下った跡である。

瀬戸内海がかつては大地溝帯であり、今では想像もできない激しい火山活動をしていた痕跡となっている。

大阪城の石

豊臣秀吉が大阪城築城のとき、石垣に使うため西国大名が運ぶ途中室の泊で海中に落としたもの、と伝わる。

400年程改定に沈んだままであったが、昭和47年室津漁港改修工事で引き揚げられ、湊口番所あたりに置かれた。

このような巨石を全国から集めて築城工事がされた事は多くの人達の労苦、栄枯盛衰を見てきた港の歴史を今に伝える物である。

もやい石

室津に入港した北前船を係留する際、船の綱を繋ぎとめていた石。

もやい石の全長は約180cmほどだが大きな船を繋ぎとめる為、ほとんどが地中に埋められ、地上に出ているのは約60cmほどだったそう。

昭和40年代頃の護岸工事の際に撤去されたものを現在展示されている。

また、当時もやい石があった場所も観光駐車場の近くに残されている。

室津のもやい石は全体像を見ることができる全国的に見ても貴重なもの。

津波避難階段。

『街道をゆく』の取材で、司馬遼太郎、須田剋太らの一行は、室津に泊まっている。

七曲(ななまがり)からの道路は、嫦峨山(じょうがざん)の崖の中腹を通っている。道路上から入江の景観が見おろせる。宿は、その道路上に、崖に背をもたせるように建っている。(中略)
部屋に入ると、この宿に感謝する気持になった。

アルミ枠のガラスいっぱいに室津港が見おろせるし、地図ではよほど沖合かと思っていた中ノ唐荷(からに)島と沖ノ唐荷島が、ちかぢかと見えるのである。

この司馬遼太郎の文章には旅館名はでてこない。

地図上で探すと、室津港を見おろせる位置にあるのは「きむらや」という宿一軒のようだ。

司馬遼太郎は本の中でかなり詳しく室津の歴史についてページを割いています。

奈良時代の山部赤人がこの室津の唐荷島を読んだ歌や、平安時代高倉天皇(高倉院)や平清盛がこの室津に泊まった話、法然上人が幽閉された寺、そして江戸時代の参勤交代の大名が止まった本陣跡など、僅か1泊しただけなのに、実に詳しく述べています。

恐らく週刊朝日に掲載する時には、自宅でかなりの文献を調べて書き上げたものと推測されます。

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山で囲まれた室津湾は栄養豊富で静かな湾として牡蠣には最適な環境です。

一年牡蠣なので、クセがなくスッキリした味わい、貝柱の甘みが印象的です。
加熱しても身縮みが少ないのが特長です。 旬の時期は11~5月。

毎年5月頃に種付けをし、その年の11月下旬頃にはプリプリの状態に育ち収穫ができることから、一年牡蠣と呼ばれています。

約半年で成長し出荷できるのは、過密養殖を防止し、牡蠣棚を毎年移動させ栄養を行き届かせるこだわりも大きな理由のひとつです。
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プリプリとした食感と濃厚な味わいが特徴の海の恵み、カキ。

農業の現場では、そんなカキを食べた後に残る貝殻「カキ殻」が肥料として再利用されています。

塩抜きした貝殻を焼いたり乾燥させたりした後、土壌に混ざりやすいように細かく砕いた肥料で、主成分は炭酸カルシウムです。

100%天然素材に由来する有機石灰肥料として活用されています。

カキ殻の最大の特徴は、ほかの石灰肥料に比べて効き目がおだやかなこと。

保証成分のアルカリ分は消石灰が60~75%程度、苦土石灰が50~60%程度なのに対し、カキ殻は40~50%と低く、じわじわと効き目があらわれるタイプの肥料です。

即効性はないものの、消石灰のように水と反応して熱をもつことがなく、やりすぎによる生育障害も起こりにくいので、安心して使うことができます。

旧御津町(みつちょう)のマンホールの蓋。

丸い蓋を大きく3分割している形は御津町の町章で、 その中に町の花ウメ、町の木ヤマモモ、瀬戸内海の波と波頭を配したデザイン。

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童謡「赤とんぼ」のふるさと 龍野


『播磨国風土記』によれば、龍野の由来は「『野見宿禰がこの地で没し、出雲から多くの人が来て、揖保川の石で墳墓を作るため野に立ち並んだ』という故事から『立野』と呼ばれ、『龍野』に変化した」、とされている。

龍野の地名起源は野見宿禰
この地で病没した野見宿禰の墓を建てるために人々が野に立ち(立つ野)手送りで石を運 … 続きを読む →

画像は隅櫓(模擬)。

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龍野の地は江戸時代初期、姫路藩池田氏の領地であったが池田利隆の死に伴いこの地に本多政朝が入封、龍野藩が立藩した。以後、諸氏の支配や天領を経て、最終的には脇坂家10代200年の治世の後維新を迎えた。

これにより城下町が形成され、龍野藩の城下町となった。
現在の市街地にも城下町の町割りが残る。

播磨の小京都 龍野城
龍野城は、標高210mの鶏籠山山頂の山城として築かれた時代と、現在の地、山麓を含 … 続きを読む →

画像は龍野城(霞城)の大手門。

龍野城は鶏籠山(けいろうさん)の山城と山麓の平山城とのニ期に分かれます。

山城は約500年前赤松村秀(あかまつむらひで)によって築かれ、現在の平山城は寛文(かんぶん)12年に信州飯田から脇坂安政公(わきざかやすまさこう)が移って築城したとされています。

寛文12(1672)年、脇坂家3代目老中堀田家から養子の安政が信濃飯田から、揖保川に朝夕深い川霧がたつ龍野に移る。

この地で200年、維新まで生き延びる。
しかし5万3千石の石高は変わらず、参勤交代の費用は倍以上。

安政実兄の改易蟄居もあり、決して割の合う国替えではない。
のちに老中もつとめる格式と経済力のために知恵を絞る。

結果、江戸期日本を代表する醤油醸造、明治期童謡赤とんぼの詩人三木露風が生まれる町並みが醸成されたのだ。

龍野藩主脇坂氏の上屋敷跡に建つ聚遠亭
聚遠亭(しゅうえんてい)は龍野藩主脇坂氏の上屋敷跡にある歴史的建造物および庭園。 … 続きを読む →

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白壁が残る道の北側にはご覧のような赤レンガの煙突があります。

外観の意匠も凝っているこちらの建物は、龍野醤油協同組合の事務所として大正期に建てられたもの。

ここも国の登録有形文化財になっていて、現在は「大正ロマン館」として観光案内所などが入っています。

如来寺

533年(天文2年)に当案賢正を開山として創建された。
1672年(寛文2年)には龍野藩主脇坂氏の菩提寺となった。

1730年(享保15年)に宝鏡寺門跡から山号「松龍山」を賜った。

風情のある落ち着いた街並みが残る龍野の街、ゆっくり観光して歩くにはいい街だ。

童謡の里龍野
春の盛り、日本のうた“赤とんぼ”の作詞者である詩人三木露風の生誕地龍野を訪れた。 … 続きを読む →


醤油屋さんの高い煙突は何処にいても見渡せ格好の目印。

小林家住宅の土蔵は江戸時代前期という現存する最古クラスのものらしいです。

觜崎屋本店

たつの市で人気の老舗の和菓子屋さんです。

バス2台のツアーですが車内で案内されたこともあり、たちまち売り切れ。

非常に興味深い望楼付属町家。
ツシ二階建てから本三階建てへの過渡期的町家で、稀に京都市内などで見かける。

路地を隔てて見るとなかなか風情のある景色。

醤油の三大名産地 日本全国で作られている醤油ですが、代表的な産地は、千葉県、兵庫県、香川県の小豆島になります。

全国の生産量の約15%を占め、1位の千葉と合わせると日本の醤油の半分はこの2県で生産されていることがわかります。

兵庫県では主に色が淡く、料理の色や味わいを活かす「淡口醤油」が造られています。もともとは一般的な濃口醤油を造っていたのですが、現在の龍野市で江戸時代から淡口醤油が造られるようになりました。

播磨平野の豊かな小麦、山間部に産した質のよい大豆、赤穂の塩、そして清らかで鉄分の少ない川の水が淡口醤油作りに適していたそうです。

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醤油のうんちく

醤油の元祖は紀州の湯浅

ちなみに現在のような醤油は紀州、和歌山県湯浅で鎌倉時代の1254年に誕生したと言われています。

臨済宗禅寺の僧である覚心(法燈国師)が、中国で金山寺味噌の醸造法を学び、それを湯浅に伝え、その亀山時味噌から醤油が生まれたそうです。

五大産地には入っていませんが、湯浅が醤油の元祖です。

野田の醤油の始まりは永禄年間(1558-1570年)。

龍野の醤油の始まりは天文年間(1532~54年)、天正年間(1573-1592年)、2つの説があります。

小豆島の醤油の始まりは文禄年間( 1592 ~ 1595 )。

銚子の醤油の始まりは元和2年(1616年)。

大野醤油の始まりは元和年間(1615~1623)。

五大産地の内、野田だけは紀州との関係がわかりませんでしたが、他の産地はいずれも、どこかの時点で紀州の醤油づくりの影響を受けています。

龍野は紀州に醤油をもたらした覚心が、湯浅の後、龍野にも醤油のつくり方をもたらしたと言われています。

小豆島で醤油が作られるようになったのは、大阪城築城のために、小豆島に石材を切り出しに来た採石部隊が携帯していた紀州湯浅の醤油だったとか。

その醤油に興味を持った島民が湯浅に渡って醤油づくりを学び、醤油をつくりはじめました。

銚子で醤油が作られ始めて、しばらく後の、1700年(元禄13年)、紀州から移住した濱口儀兵衛がしょうゆづくりを盛んにしました。
濱口儀兵衛は現在のヤマサ醤油の当主のご先祖様です。

大野醤油は、加賀藩三代藩主前田利常に命ぜられた直江屋伊兵衛が紀州湯浅で、醤油のつくり方を学んできました。
直江屋伊兵衛は大野醤油の直源醤油のご先祖様です。

大手メーカー6社

2020年時点で、大手メーカー 6 社で国内流通する醤油の約 60 % を生産している。

キッコーマン(千葉県野田市)[注釈 1] – 2018年時点の国内シェア 28.6 %
ヤマサ醤油(千葉県銚子市) – 2018年時点の国内シェア 11.7 %
正田醤油(キッコーショウ)(群馬県館林市) – 2018年時点の国内シェア 6.5 %
ヒゲタ醤油(東京都中央区)[注釈 2] – 2018年時点の国内シェア 5.1 %
マルキン醤油[注釈 3](香川県小豆郡小豆島町) – 2018年時点の国内シェア 4.0 %
ヒガシマル醤油(兵庫県たつの市) – 2018年時点の国内シェア 3.9 %

西日本に知られた淡口醤油中心の有名なメーカーとして、ヒガシマル醤油がある。
一方で、和歌山県では古くから濃口醤油が主流となっている。

現在、国内で生産されているものの大半が本醸造であり、またこの濃口醤油が大半を占める。

「本醸造」の条件は、大豆、麦、米等の穀物を蒸煮し、麹菌を用いて作成した麹に、塩水または生揚げを混合して発酵・熟成させたものを指す。

麹に、蒸した米や甘酒を添加したり、分解を促進するための、セルラーゼ等の酵素を添加することも許されている。

ただしプロテアーゼを除く。
JAS特級の条件には「本醸造であること」という項目も含まれているため、特級醤油であれば常に本醸造醤油である。

都道府県別では、キッコーマン(野田市)、ヤマサ、ヒゲタ(いずれも銚子市)等の大手が存在する千葉県が34%、ヒガシマル(たつの市)が存在する兵庫県が16%と上位2県で半数を占めているが、日本各地に中小メーカーが存在する。

なお、現存する最も古いメーカーは、室次(福井県福井市)である。
うすくち(淡口)

汁物、煮物、かけうどんつゆなどの料理用に、特に近畿地方で多用される。

近畿の料理は昆布出汁を多用し、昆布の風味が失われないよう香りの薄いものが求められた。

また濃口醤油を使うと料理の色が黒くなる(うどん汁が大阪では薄色で、東京は濃く黒っぽくなるのは醤油の色の違いである)ので、素材の彩りを生かす京料理などに透明なものが好まれた。

塩分濃度は濃口より1割ほど高い。
濃口よりも原料の麦を浅く炒り、酒を加える。

仕込み時には、麹の量を少なく、仕込み塩水の比率を高くする。

圧搾前に甘酒を加えることもある。酸化して黒みが出ると価値が低いとされているために濃口醤油より賞味期限が短い。

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神戸散策


ラインの館という名前は市民からの愛称募集で入選した名前で“この館の下見板の横線(ライン)が美しいから”というのが入選者の言葉です。

また、神戸市が購入する直前に住んでいたオバーライン氏の故国ドイツのライン川にちなんで、この名称になりました。

建築主は、J.R.ドレウェル夫人(Josephine.R.Drewell)で、1857年フランスに生まれ、明治4年(1871)に来日しています。

ラインの館を建築した時ドレウェル夫人は58歳、大正9年(1920)に亡くなるまでこの館で暮らしていました。

ドレウェル夫人は神戸市北区山田町にある国指定記念物(名勝)「再度山公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地」内に埋葬されています。

ドレウェル夫人の死後、この館にはドイツ人が住んでいました。

うろこの家は、神戸で最初に公開された代表的な異人館で、国の登録有形文化財や兵庫県住宅百選にも指定されている伝統的な建築物です。

天然石のスレートで覆われた建物の外壁が魚のうろこに似ていることから「うろこの家」と愛称で呼ばれ、親しまれています。

そばにあった解説には「王家の橇(そり)」と書かれていて、こちらも調度品のうちの一つ、デンマークの王子がアマリエンボー宮殿で使っていたもので、1750年頃のものだそうです。


ソクラテスの灯。

ソクラテスが真理を捜し求める様を隠者に重ねて作った作品なんでしょうか?値打ちある彫刻らしいですが。

以前訪問した時は通路に近いところに展示してあったと記憶しているのですが・・・



通りで見かけたかわいい像。

1904年(明治37年)にドイツ人貿易商の住宅として建てられた異人館(西洋館)で、重厚な煉瓦造りの外観と、屋根上の風見鶏を特徴とする。

その風見鶏により風見鶏の館と呼ばれ、また当初の居住者の名から旧トーマス邸、旧トーマス住宅とも呼ばれる。
国の重要文化財に指定されている。

風見鶏の館の前にあり、公園には日本のJAZZ発祥の地神戸らしい、ジャズを演奏する銅像が合計4体あります。

1868年に神戸港が開港し、外国人用の居留地が設けられた。

当時、清国との間には通商条約を結んでいなかったため、華僑は居留地内に住むことを許可されずに、西隣に住み始めたのが南京町の始まりとされる。

画像は南京町東端入口の長安門。

1945年の神戸大空襲で全焼。戦後は主に進駐軍相手の歓楽街として復興したが、その名残もあって退廃化が進み、1970年代までは路地の舗装もされず、周辺には船員向けのバーが立ち並び、夜になれば街娼が立つようなエリアとなっていた。

1960年代には純粋な中華料理レストランが1軒まで減少したこともあった。

画像は南京町西端入口の西安門。

1975年3月、神戸市議会は「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」を決議しました。

この決議は「核兵器を搭載した艦艇は神戸港への入港を一切拒否する」という内容で、世界的にも例のない決議であることから「非核神戸方式」と呼ばれています。

また「神戸市港湾施設条例」で神戸港に入港しようとする外国軍の艦艇には、非核証明書を提出することを義務づけました。

決議後も、イギリスやフランスなどの軍隊の艦艇が神戸港に入港していますが、事前に非核証明書を提出して入港しています。

前身は1962年に開館した神戸国際港湾博物館。

海事博物館としては世界有数の規模であり、1987年に、幕末の神戸港開港120年を記念して開館した。

展示内容は、近代神戸港だけでなく、平清盛が修築した大輪田泊や福原京まで遡る。
大小200点以上の船舶模型が展示されている。

波または帆船の帆をイメージさせる独特な外観の屋上構造物は白色のフレームでできており、夜間は青系の光でライトアップされる。

画像は、ロドニー、1922年のワシントン海軍軍縮条約下で建造されたため、排水量は35,000トンまで制限されていた。

3基の3連装16インチ砲塔は全て艦前方に配置され、ヴァイタル・パートは集中化したもののその代償に低速力に悩まされることとなる。

1936年以降に新世代の戦艦が就役するまで、2隻のネルソン級戦艦は最も強力な戦艦と見なされていた。

同館内では2006年より、川崎重工業が企業博物館「カワサキワールド」を展開している。

新幹線0系電車の先頭車両(運転台や客席の体験可)やKV-107 II型ヘリコプター(JA9555 川崎重工業社用機「美濃」)(客席のみ体験可)の現物を展示。

陸・海・空・環境などをテーマとしたクイズゲーム、「電車でGO!2高速編 3000番台」のゲーム、フライトシミュレーター、マリンスポーツシミュレーターなども設置されている。

モーターサイクルギャラリー

歴代のモーターサイクルを実物で紹介している。
実際に触ったり乗ったりできる物も用意されている。
ベストセラーになったものもある。

写真撮影が許可されており、格好のフォトスポットとなっている。

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相生


伊部の帰り相生から新幹線を利用した。

過去、相生町(現・相生市)内には播磨造船所(現・IHI)があった。

1922年(大正11年)、長崎県出身の従業員により社内行事としてペーロンが紹介されたのが、相生におけるルーツだといわれている。

終戦までは毎年5月27日の「海軍記念日」に、同社構内にある天白神社の例祭として、ボートレースと共にペーロン競漕が行われていた。

戦後になり、相生市・商工会議所・播磨造船所の共催による「相生港まつり」が誕生(前夜祭として花火大会も実施)。

1962年(昭和37年)には、相生市・商工会議所・石川島播磨重工業(現・IHI)が、相生ペーロン祭協賛会を結成。

翌1963年(昭和38年)から「相生ペーロン祭」となり、現在に至る。

16時20分、新幹線ホームは強い西日を受けており、カメラの逆光耐性を確認するには格好の材料だ。

折からの西日を直接撮影。

特にフレアは感じられない。

西日を受けているにもかかわらず描写は鮮明だ。

構図を考えるとき逆光を考慮しなくていいということは強い味方になる。

Zは多くの新しい機能を搭載しているが、まず最初に確認したかったのが逆光の耐性。

それがOKということで今日のところは満足。

明日以降少しづつ他の機能を試していこう。

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厄除の神様 六甲八幡神社


エスカレーターの登り切ったところから、振り向くと八幡神社の森が小鳥の

楽園のように広がって、朝の小鳥の鳴き声は駅にまで届いて聞こえます。

阪急電鉄神戸線の六甲駅で降りて南の3・4番出口から出ると、都会の駅前とは思えないような深々とした森が目に入ります。

そして樹齢数百年はありそうな木々が、神社を取り囲むように広がっています。

六甲八幡神社は、兵庫県神戸市灘区八幡町(菟原郡八幡村)にある神社。

九州の宇佐神宮、または京都の岩清水八幡宮から勧請してきたといわれるが、祭神天照大神は、勧請元のいずれにも祀られていないので、元々この地に祀られていた可能性がある。

私たちをじっと見ているような、生々しい鱗がある竜の像、こちらは本殿の右隣にある御手洗所にあります。

境内のフォトジェニックスポットとしてよく知られています。

竜の力みなぎる鱗と爪、石に生えた苔が厳かな雰囲気を醸し出しています。

本社の創紀については諸説あっていずれとも決めにくい。

円融天皇の代に永原武信という者が八幡宮に祈り二子をもうけ、その二人の子も八幡宮の神助を蒙ることたびたびであり、後一条天皇の万寿三年(1026)この地に八幡大神をまつり崇敬したという。

また他の説では平清盛の福原遷都の折に男山八幡を勧請して成瀬という旧地名を八幡(やはた)に改めたのが起源であるという。

このほかにも、花園天皇の正和年中(1312-1316)勅命により豊前国宇佐八幡を勧請したとも伝えられている。

本殿は一間社春日造の檜皮葺きの社殿。

天明6年(1786年)に領主である石河氏の寄付によって、奈良県の春日大社の旧社殿を移した「春日移し」によるものと考えられる。

「春日移し」による旧社殿の分布としては西限にあたり、兵庫県下では唯一である。

2016年(平成28年)3月、神戸市指定有形文化財に指定された。

徳川の頃、江戸の酒問屋の信仰篤く、灘の清酒を回漕する際に祈願しており、江戸茅場町紙屋八左衛門、鴻池太郎兵衛、小西利作、江戸北新川の播磨屋新右衛門、江戸南新川の尼屋利兵衛、鹿嶋庄助、池田屋喜兵衛等の名も見える。

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風の教会 ミーツ・アート芸術散歩


風の教会は、兵庫県神戸市灘区の六甲山上にある教会堂。

所在地から六甲の教会とも呼ばれる。
竣工は1986年、設計は後年(1996年)国際教会建築賞を受賞する安藤忠雄が手掛けた。

南仏プロヴァンスの「セナンク修道院」から影響を受けたとされコンクリート打ち放しの躯体に直方体の塔が載り柱廊はすりガラスの半透過の空間が特徴的。

当初は六甲山中腹の六甲オリエンタルホテルの庭園内に位置していた。

素材を生かした簡素な建物で、礼拝堂へ続くコロネードにはガラスが、堂内の十字架はRCフレームが用いられている。

教会を肉体に見立てて描かれた天井画のアニメーションは、本展のために制作された貴重な作品。

「天井画はその空間を延長する役割を持つ」との本人の言葉通り、天井から拡張した映像がこちら側へ迫力を伴って向かってくる。

天井のシミや傷も作品の一部のようだ。
一切の装飾がない風の教会だからこそ、より際立つ個性。

映像を観ながら、自分の身体に湧き上がってきたものをじっくりと感じてみよう。

礼拝堂内の一番後ろには小さなオルガンがある。
コンクリート打ちっぱなしの小さな礼拝堂内であることもあり、非常に強い音の反響がある。

以前は自由に見学できたが、六甲オリエンタルホテルが2007年6月15日限りで営業を終了したため、当分見学は出来なくなった。

2015年秋に六甲山上の観光施設を会場として開催された現代アートの祭典「六甲ミーツ・アート 芸術散歩2015」では、風の教会内に作品が展示され、内部を見学できた。

この催しはその後も定期的に行われているので、この催しが一般人が風の教会を見学できる最も手軽な方法である。

3年前の「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」の記事。
風の教会
兵庫県神戸市の六甲山の頂き近くに立てられた教会堂、通称・風の教会。 大阪府茨木市 … 続きを読む →


六甲スカイヴィラ迎賓館

六甲スカイヴィラは瀬戸内海国立公園内の「六甲山 標高931m」にある山岳リゾートホテル。

『天空の楽園』をコンセプトに1000万ドルの夜景や、四季折々の自然など神戸の「海」「山」「空」を思う存分楽しめる。

「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」で展示作品、個性的な作品が・・・・

少し不気味でもある。

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嵐の六甲ガーテンテラス


あまりの寒さにガーテンテラスへ移動。

標高890mに位置する複数の展望テラスを中心とする複合施設。

それまで敷地内にあったホテルや展望施設を撤去し、2003年4月にリニューアルオープンした。

園内のいたるところから神戸市街や大阪湾を見渡すことができる。

リニューアルで誕生した西側の施設群は英国調に統一されている。

雲が出て強い風が吹きつける。

右上に見えるのはガス、嵐の予感。

強風にススキが煽られ異様な雰囲気になってきた。

ススキが気になりススキばかり激写。

雲の下は光る海・・・・画像をクリックすると拡大出ます。

吹き付ける風に雨が混じりだした、六甲ビューパレスへ避難しよう。

画像は六甲枝垂れ

1957年開業の十国展望台が2002年に老朽化したために閉鎖になった跡地に、経営する「山の上に立つ一本の大きな樹」がコンセプト。

テラス内の東側にある「見晴らしのデッキ」からの眺め。

一面ガスに埋まってしまった。

本来なら神戸から大阪にかけてを一望できるのだが、一面白い世界。

静止画像で良く分からないかもしれないが、ガスが激しく流れています。

先ほどまでいた見晴らしのテラスが霞んでいます。

激しい雨嵐を凌ぐこと小1時間、少しずつ晴れ間が見えてきました。


それでもまだガスは激しく流れています。

まだ激しくガスが流れていますが、青空が見えてきました。

雨が小止みになり、デッキには人影が・・・・

ここから先、雲の形が激しく変わります、面白くて撮っているときりがないくらい。

そろそろ次に行くことを考えなきゃ。

神戸空港がよく見えています、拡大して見てください、右手、海の中に誘導灯が伸びています。

拡大して見てください、関空が見えています、連絡橋の先に空港島が見えます。

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秋の 六甲高山植物園


六甲山を登るケーブルカーだが、六甲山最高峰の山頂は3.7kmほど北東にある。

六甲山上駅ではケーブルカーと同じく六甲山観光が運行する六甲山上バスに接続しており、バスと六甲有馬ロープウェーを乗り継いで有馬温泉へ抜けることもできる。

アールデコ調の六甲山上駅の駅舎は創業当時のもので、大切に保存されている。

六甲山上駅のから眺望、前日からの雨が今朝止んで、今は御覧の通りの快晴。

例年であれば紅葉が始まる時期だが、今年は異常気象で前日まで夏日だった。

それでも一部は紅葉が始まっている。

しかし、今日は夏日からいきなり11月の気温となり、時折強風が吹きつけて寒い。

シクラメン・シリシウム

モウセンゴケ・アリキアエ

植物学の第一人者・牧野富太郎博士の指導を受けて1933年6月24日に開園し、1955年に博物館相当施設の指定を受けた。

園は海抜865mに位置するため年平均気温は北海道並の約9°Cである。

この気候を利用して世界の高山植物、寒冷地の植物など約1,500種の植物を栽培している。

ヒダカミセバヤ

ツリガソウかな

アサギリソウ

キクバヤマボクチ

ダイモンジソウが群生している。

湿生植物区(西入口前)
高原の湿地に生える植物を栽培しています。

池には鯉が放流されており、人が近づくとえさを求めてやってくる。

皇室と六甲高山植物園

六甲高山植物園は、その学術性から皇室の訪問(行幸・行啓)をたびたび受けている。

1958年には上皇が皇太子時代に訪れた。

上皇が皇太子時代に訪れた時に、園内に架けられた吊橋には「プリンス・ブリッジ」と名づけられたが、その後老朽化により2回架け替えられた。

2代目からは吊橋ではなくなったが、2代目の橋は木製の装飾により、現在の3代目は装飾のワイヤーにより吊橋の雰囲気を出している。

1971年には今上天皇が立太子前の学習院初等科在学中に訪れた。

1981年には、昭和天皇が神戸ポートアイランド博覧会視察のため、神戸を訪問した際に当園を訪れた。

園内には昭和天皇の行幸記念碑が設置されている。

また、昭和天皇は満開のエンコウソウ群落に特に関心を示した。

昭和天皇の帰京後、宮内庁を通じてエンコウソウの譲渡の要請があり、30株が皇居吹上御苑に献上・移植された。
園内には皇室三代訪問時の記念植樹もある。

過去の訪問記録

春の六甲高山植物園
六甲山上も春です、新緑とオオヤマザクラのコラボがきれい。 ユキモチソウ。 サトイ … 続きを読む →

初夏の高山植物園
ムサシアブミ 地面から立ち上がる第一の葉柄の途中から二番目の葉柄が分岐し、その途 … 続きを読む →

夏の六甲高山植物園1/3
六甲高山植物園では世界や日本の高山帯に咲く約1500種の四季折々の植物に出合える … 続きを読む →

夏の六甲高山植物園2/3
アサギリソウは、北陸地方や東北地方以北の岩場に見られるヨモギの仲間。 全体に白い … 続きを読む →

夏の六甲高山植物園3/3
コウホネ、浅い池によく見かけるが、流れの緩い小川に出現することもある。 根茎が骨 … 続きを読む →

六甲高山植物園に初秋を訪ねる2/3
今上天皇が皇太子時代に訪れた時に、園内に架けられた吊り橋には「プリンス・ブリッジ … 続きを読む →

六甲高山植物園に初秋を訪ねる 1/3
まだまだ日中はうだるような暑さが続いているが、夕方ともなるとどこからともなく虫の … 続きを読む →

六甲高山植物園に初秋を訪ねる3/3
2008年6月に六甲高山植物園はスイスを代表する高山植物園とされるベルン州インタ … 続きを読む →

ヒマラヤの青いケシまだ見頃 高山植物園
高山植物園ではヒマラヤの青いケシがまだまだ見頃です! メコノプシス・ベトニキフォ … 続きを読む →

紅葉シーズン到来 六甲高山植物園
六甲高山植物園は植物学の第一人者・牧野富太郎博士の指導を受けて1933年6月24 … 続きを読む →

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