臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。
本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。
なお、寺名は「えんがくじ」と濁音で読むのが正式である。
北鎌倉駅は鎌倉五山第二位の円覚寺の門前にあり、横須賀線の線路も寺の境内を横切っている。
横須賀線は軍港横須賀への軍用路線として、海軍、陸軍の要請で明治二十二年に開通した古い路線である。
円覚寺もこの時、境内に線路を敷設することを許可したのであろう。
しかし、線路が通っていたも駅がないため交通が不便だったので、住民や名刹の住職らの要請で夏季簡易停車場が設置され、そして、昭和五年、正式の駅となった。
今のかわいらしい駅舎は夏季簡易停車場時代の建物だという。
白鷺池(びゃくろち)
円覚寺総門の手前、横須賀線の踏切を渡った向かい側に位置する池で、円覚寺境内の一部である。
明治時代、軍港横須賀に通じる鉄道(現・JR横須賀線)の建設にあたって、無理やり円覚寺境内に線路を通過させたため、このような位置関係になっている。
「白鷺池」の名前は、開山無学祖元が鎌倉入りした際に、鶴岡八幡宮の神の使いが白鷺に身を変えて案内したという故事に因むという。
鎌倉時代の弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した。
当寺では元寇で戦死した日本の武士と元軍(モンゴル・高麗等)の戦士が、分け隔てなく供養されている。
境内には現在も禅僧が修行をしている道場があり、毎週土曜・日曜日には、一般の人も参加できる土日坐禅会が実施されている。
かつて夏目漱石や島崎藤村、三木清もここに参禅したことが知られる。
山号を瑞鹿山(ずいろくさん)と称し、正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)と号する。
総門には瑞鹿山の額が掲げられている。
山号の「瑞鹿山」は、円覚寺開堂の儀式の際、白鹿の群れが現われ、説法を聴聞したという故事によるものとされ(『元亨釈書』等による)、今も境内にはその鹿の群れが飛び出してきた穴と称する「白鹿洞」がある。
三門(山門)は天明5年(1785年)、大用国師誠拙周樗が再建したものと言われる。
「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇の勅筆とされる。
楼上には十一面観音、十六羅漢像などを安置する。
工事中の急な階段を上り、「洪鐘」(おおがね)を目指す。
梵鐘は仏殿東方の石段を上った小高い場所にある鐘楼に架かる。
寺では「洪鐘」と書いて「おおがね」と読ませている。
北条貞時の寄進によるもので、正安3年(1301年)、鋳物師物部国光の制作。
高さ2.6メートルを超える大作である。
銘文は、西澗子曇(せいかんすどん)が撰している。
鎌倉で最大の梵鐘で昭和28年11月14日、建長寺の梵鐘とともに国宝に指定されている。
『円覚寺鐘 正安三年八月大檀那平貞時 住持宋西澗子曇 大工大和権守物部国光在銘』
仏殿は昭和39年(1964)年再建で、コンクリート造りだが、元亀4年(1573年)の仏殿指図(さしず、設計図)に基づいて建てられている。
本尊の宝冠釈迦如来像、頭部に冠をかぶっているので「宝冠釈迦如来」と呼ばれる。
鎌倉時代の作。
胴体の部分は江戸初期に補造された。
天井画の「白龍図」は前田青邨の監修で日本画家守屋多々志が描いたもの。
建長寺の雲龍図は五爪だが、こちらは日本に多く伝わる三爪。
選仏場は元禄12年(1699年)建立の茅葺き屋根の建物。
坐禅道場である。
内部には薬師如来立像(南北朝時代)を安置する。
仏殿が再建されるまでは、この堂が仏殿を兼ねていた。
済蔭庵 (さいいんあん)(居士林)
第58世曇芳周応(どんぽうしゅうおう)の塔所。
本尊は不動明王。
現在は居士林、すなわち在家信者のための坐禅道場となっている。
建物は牛込(東京都新宿区)にあった柳生流の剣道場を、昭和3年(1928年)柳生徹心居士より寄進され移築したものである。
参道をさらに奥に進む。
妙香池(みょうこうち)
夢窓疎石作と伝える庭園の遺構である。
舎利殿(国宝)
神奈川県唯一の国宝建造物で、境内の奥に位置する塔頭・正続院の中にある。
「塔頭」とは禅寺などで、歴代住持の墓塔を守るために作られた付属寺院のことを指し、正続院は開山無学祖元を祀る、重要な塔頭である。
舎利殿は入母屋造、杮(こけら)葺き。
一見2階建てに見えるが一重裳階付きである。
堂内中央には源実朝が南宋から請来したと伝える仏舎利(釈尊の遺骨)を安置した厨子があり、その左右には地蔵菩薩像と観音菩薩像が立つ。
この建物は、組物(屋根の出を支える構造材)を密に配した形式(「詰組」という)、軒裏の垂木を平行でなく扇形に配する形式(扇垂木という)、柱・梁などの形状、花頭窓(上部がアーチ状にカーブした窓)や桟唐戸(さんからど、縦横に桟をはめた扉)の使用など、細部は典型的な禅宗様になる。
元から円覚寺にあったものではなく鎌倉市西御門にあった尼寺太平寺(廃寺)の仏殿を移築したもので、15世紀(室町時代中期)の建築と推定されている。
鎌倉時代建立の善福院釈迦堂(国宝、和歌山県海南市)や功山寺仏殿(国宝、山口県下関市)とともに、禅宗様建築を代表するものとして、評価は高い。
通常は非公開で、正月3が日と11月3日前後に外観のみが公開される。
なお神奈川県立歴史博物館に内部の当寸復元模型があり、上記の建築意匠を間近に確認することができる。
最奥の黄梅院(おうばいいん)を目指す。
円覚寺の創建開堂にあたっては、無学祖元の法話を聞くために山中から白鹿が出てきてこれに連なったという言い伝えがある。
その白鹿が出てきたというのがこの「白鹿洞」。
円覚寺の山号は「瑞鹿山」。
この山号には「めでたい鹿のお山」という意味がある。
黄梅院 (おうばいいん)
第15世夢窓疎石(夢窓国師)の塔所。
山号は伝衣山。
本尊は千手観音。
文和3年(1354年)、華厳塔(三重塔)の跡地に夢窓の弟子の方外宏遠が開創した。
観音堂、聖観世音菩薩が祀られていています。
円覚寺方丈方丈は元来は寺の住持の住む建物を指すが、現在では各種儀式・行事に用いられる建物となっている。
百観音霊場に一本だけ真っ赤なモミジが残っていた。
百観音霊場は江戸時代、拙叟尊者が境域に岩窟をうがって百体の観音像を祀ったことに由緒を発する。
その後荒廃したが、明治21年洪川(こうせん)禅師が発願して西国33体の観音像を新らたに刻み、補陀落迦観自在窟(ふだらかかんじざいくつ)と名づけて境内の一部に安置した。
勅使門
この唐門は天保年間の1839年の建立。
屋根の形が弓を横にしたような形をしているので「唐破風」という。
中央が高く左右がなだらかな曲線になっています。
平安後期からの日本建築です。
真っ赤なモミジと黄色いイチョウの取り合わせがいい。
弁天堂への登り口、散り葉が美しい。
円覚寺へのアクセス、行き方歩き方
住所:神奈川県鎌倉市山ノ内409
電話:0467-22-0478
JR東日本横須賀線北鎌倉駅下車すぐ(駅改札を出たところが境内)