都をどり 2013

京都府

都をどり 2013が祇園甲部歌舞練場2013年4月1日~4月30日の予定が開催されている。
開演中は撮影禁止なのでお茶席の模様等を中心にお届けします。

都をどり開催場として、明治6年建仁寺塔頭清住院が歌舞練場として改造され、第2回目からここで行われました。
大正2年に現在の場所に移転し、昭和25年から3年間の修理の間は四条南座で上演された以外、 都をどりは現在に至るまで毎年この歌舞練場で上演され続けています。

花見小路は都踊り一色だ。

花見小路一力の近くで見かけた妓、これからお仕事かな。

寛永年間(1624 – 1645年)に祇園社(八坂神社)の門前で営業された水茶屋がこの花街の始まりで、京都所司代板倉重宗によって茶立ち女を置くことが許可され、門前の茶屋町を「祇園町」と称するようになった。

結構外人さんの姿が目につきます。
江戸末期にはお茶屋が500軒、芸妓、舞妓、娼妓合わせて1000人以上いたという。

弥栄会館は昭和11年に劇場建築を手がけた木村得三郎が設計、大林組が施行したもので、国の登録有形文化財に指定されている。
白鷺城(姫路城)をモデルにしているので、近代建築であるが、城のような形をしている。
当時は近代建築に城郭のような和風のものをデザインするのが流行っていたようだ。

1872年(明治5年)、博覧会の余興として上演されたのが始まりで、時の京都府知事、槇村正直が作詞を、当時新進であった井上流家元、井上八千代(三世 片山春子)が伊勢古市の亀の子踊り(伊勢音頭の総踊り)を参考に振付を担当。

腰を下げ、すり足の京舞井上流独特の動きが特徴的な都をどり。

舞台まで両側の花道が設え、今までの舞台とは一味違う革新的で、花道からおそろいの衣装を着けた踊り子たちが登場して観客を驚かせた。

以来、歌舞伎や源氏物語などを題材にして、明治以来のスタイルを踏襲しながらその年の干支や話題にちなみ、新たなる志向で上演され続けている。
この形式は伊勢古市の花街で踊られていた『亀の子踊り』にヒントを得て作られている。

上演前、祇園甲部歌舞練場の2階でお茶席が設けられる。
一日交替制で点茶をする芸妓は京風の島田髷を地毛で結い、衿を裏返す黒紋付の正装姿で登場する。
白塗りの襟足は三本足で、うなじの美しさを強調する。

控えは舞妓は、芸子が点てたお茶を客席まで運ぶ。
「歩く芸術品」とも呼ばれる舞妓の姿が楽しめる。

本日の点茶はつる葉さん、控えは真咲さんです。

平成元年度総踊り衣裳「蝶舞う」だらり帯「若松亀甲」

昭和50年度総踊り衣裳「波と百花」だらり帯「松菱繍文」

華やかな劇場内部、上演中は撮影禁止につき、開演前に雰囲気を。

天井の提灯も印象的。

「都をどりは~ よ~いやぁさ~」のかけ声と共に、艶やかな芸舞妓が左右の花道から現れると、観客はその美しさに吸い込まれるように魅入ります。

出し物は
【演目】「春宴四季巡昔話」 
全八景 第一景: 置歌
第二景: 小町所縁随心院
第三景: 通小町小野草紙
第四景: 井手玉川蟹満寺
第五景: 日高川清姫草紙
第六景: 通天の紅葉
第七景: 鶴の恩返し
第八景: 御室桜春宴

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祇園甲部歌舞練場へのアクセス、行き方歩き方

都をどり公式サイト
住所:京都市東山区祇園町南側祇園花見小路四条下る
電話:075-561-1115
京阪祇園四条駅・阪急河原町駅下車徒歩約10分。
近鉄電車の場合は近鉄丹波橋駅にて京阪電車に乗り換え京阪祇園四条駅下車徒歩約10分(6号階段より四条通へ)。