行きにくいとなると行きたい気持ちがつのり、探すうちツアーがあることを見つけた、残2席に滑り込みセーフ、ラッキーだった。
孤篷庵の参道は長い、途中の素盞烏命神社のイチョウがきれいでした。
小室(こむろ)城主で、千利休、古田織部とともに日本三大茶人としても名高い小堀遠州(こぼりえんしゅう)(1579-1647)の菩提を弔うために、2代目城主宗慶(そうけい)(正之)が、江戸時代前期、京都大徳寺(だいとくじ)から僧円恵(そうえんけい)を招いて開山した臨済宗大徳寺派の寺。。
遠州が京都大徳寺に建立した孤篷庵にちなんで、近江孤篷庵としました
小堀家の菩提寺でしたが、江戸時代後期、伏見奉行を勤めていた6代目藩主政方(まさみち)の時に、小堀家改易とともに衰え、明治維新後無住のままに荒廃していました。
やっと山門が見えてきました。
昭和40年(1965)小堀定泰(こぼりじょうたい)が再建し、「遠州好み」の庭も同時に補修整備されました。
庭園は、本堂南にある簡素な石組の枯山水と、東に面した池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園があり、県の名勝に指定されています。
近江孤篷庵は1700年代に一度移転しており、現在の庭園はその際に作られたと推定されているとのこと。
一面に苔の広がる枯山水庭園と、琵琶湖をイメージしたという池を中心とした池泉鑑賞式庭園。
自然の地形を活かした趣(おもむき)のある設計で、近江八景を模したといわれます。
池の後方の築山には、自然の土手をそのまま取り込んでいて、扇を広げたような逆二等辺三角形の壁になっていて、その要にある奥まったところに井戸があり、当時は山から集まってくるおいしい水を沸かして喫茶を楽しんでいたようです。
中央の老木常緑樹「バイタラヨウジュ」は、はがきの元木で、冬には赤い実を付けて庭を彩ります。
軒先に吊るされているのは鉄製の灯篭だろうか、涼やかな意匠が風流を誘う。
孤蓬とは遠州の号であり、遠州亡き後にその子である正之が遠州の菩提供養と小堀家家臣の修繕道場として建立した。
庭園の東側は直接外界とつながったような形になっていたそうですが、今では木が茂る。
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