仙巌園(せんがんえん)は鹿児島県鹿児島市吉野町字磯にある薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園。
別名磯庭園(いそていえん)。
1658年(万治元年)に第19代当主であった島津光久によって造園され、その後も歴代当主による改築が重ねられてきた。
1888年(明治21年)からは焼失した鹿児島城に代わり島津忠義公爵一家の住まいとなっていたが、忠義の死後に跡を継いだ島津忠重は薩摩藩出身の新政府高官らによって東京市に移住させられ、仙巌園も住人不在となった。
1949年(昭和24年)、華族制度廃止に伴い鹿児島市の管理下に置かれたが、1957年(昭和32年)には島津家に返還され、現在は島津興業が管理している。
借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、1958年(昭和33年)に国の名勝に指定された。
百五十ポンド鉄製砲は後方に見える反射炉で鋳造されたと伝える最も大きな大砲です。
巨大な砲身を支える砲架は木製で、最前部を軸にして回転でき、大砲の向きを変える「砲架下部」と、発射時の衝撃を和らげるために砲架下部の上を滑る構造の「砲架上部」で構成されています。
幕末の名君、島津斉彬が日本を守る大砲を鋳造するためにつくらせたこの反射炉、もともとはヨーロッパで開発されたもの。
しかし当時は鎖国中で西洋人に造ってもらうことも教えてもらうこともできません。
オランダの書物のみを手がかりに、日本人だけで造るしかありませんでした。
基礎部分は石垣を造る技術、燃焼室などの耐火レンガは薩摩焼の技術を応用したもの。
克灰袋
桜島の火山活動による降灰を各家庭で集め回収してもらうための専用の袋。
以前は「降灰袋」という名称だったのを受身的な印象から、積極的に降灰を克服しようという意思の表れで「克灰袋」になったという。
桜島大根(さくらじまだいこん)は、鹿児島県の特産品でギネスブックに認定された世界一大きい大根である(世界最大種)。
大きな大根に育てるためには火山灰質の土壌を用いて多くの手間をかける必要がある。
仙巌園内濾過池
明治40年に、皇太子(のちの大正天皇)が磯御殿を訪問されるにあたり、皇太子にきれいな水をお出しするためつくられたものといわれている。
内部は石でできた2つの貯水槽からなり、第1の水槽に石や砂利・砂をいれて水をろ過し、それを第2の水槽にためておいて、下にある御殿に給水したようです。
冷たい雨に濡れながらの散策です。
本日も 手に持たずにさせる折りたたみ傘 肩ブレラが大活躍です。
発電用ダム跡
29代島津忠義が建造した工場、「就成所(しゅうぜいじょ)」の送電発電用の貯水槽跡です。
これは、落差を利用して水車を回転させ、電力を得るというしくみで、 明治25年(1892年)からはこの電力を使って 邸内や庭のアーク灯に灯りを点し、就成所から邸内へ通じる自家用電話にも利用していました。
仙巌園(鹿児島県)では昭和34年に曲水の庭が発掘され、これは第21代薩摩藩主島津吉貴が元文元年(1736年)頃、中国浙江省紹興市蘭渚(らんしょ)にあった王羲之の別邸、蘭亭を意識して作庭されたものと言われるが、平成4年からそこで曲水の宴を行うようになった。
池を見ながら仙巌園の中を散策します。
琉球の国王から献上された望嶽楼。
鶴灯籠
鶴が羽を伸ばした姿に見えるということで鶴灯籠と呼ばれている。
28代島津斉彬の時代に日本で初めてガス灯をともした灯籠のひとつ。
獅子乗大石灯籠
29代島津忠義が明治17年(1884)御庭方小田喜三次に造らせた灯籠で、園内にある灯籠の中で最も大きな灯籠。
この石灯籠は火袋だけに加工した石を使い、笠石と台石は自然石を使った山灯籠である。獅子と火袋石は花倉御仮屋にあったものを使い、笠石は磯海岸の防波堤に使われていたものを使用しており、8畳ほどの広さである。
獅子は飛び獅子といい、桜島の方向を向いているのが特徴。
仙巌園の中にある御殿は殿様の別邸として建てられましたが、明治になって鶴丸城を明け渡した29代当主忠義がここに引っ越したため本邸となります。
当時は、当主の部屋、跡取り(30代忠重)の部屋、その他の子供たちの部屋、女性の部屋などはっきりと区別されていました。
風呂場やお手洗いなども当主専用のものがつくられています。
右側に見える松は屋久島・種子島だけに自生する五葉松の一種で、屋久島のヤク、種子島のタネ、五葉松のゴヨウで「ヤクタネゴヨウ」というそうです。
錫門は字のごとく屋根を錫で葺いてある朱色の漆塗りの門です。
1848年に庭園を拡張するまでは、仙巌園の正門として使用されていた。
正門
明治28年(1895年)、島津忠義が建てさせた門。
磯の裏山の楠を使用し、かえる股に島津家の家紋の丸十と五七の桐が彫りこまれています。
NHK大河ドラマ『篤姫』では、薩摩藩邸江戸屋敷に見立てられてロケが行なわれました。
水天渕(すいてんぶち)発電所は明治40年(1907年)に島津家が経営していた山ヶ野金山(横川町・さつま町)に電力を供給するため姶良郡(現霧島市)隼人町に建てられた発電所。
ヨーロッパ風の石造りの建物は当時としては珍しく、昭和58年(1983年)まで使用(九州電力株式会社)されていました。
記念碑は、水天渕発電所が撤去される際に、この部分だけ九州電力株式会社より譲り受け、仙巌園に設置されたもの。
仙巌園へのアクセス、行き方歩き方
住所:鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
電話:099-247-1551
JR鹿児島中央駅から市営バスカゴシマシティビューで24分、仙巌園(磯庭園)前下車すぐ