茶屋町辺り

大阪府


昔、梅田近辺は田畑だった。
北向地蔵は明治26年に畑からでてきた、畑から出てきたお地蔵さんを北向地蔵として祀っていたが、昭和44年に阪急三番街を建設するときに、移設して祀り現在に至る。

人通りも多く、ちょいとお参りしていく日が跡を絶たない。

茶屋町は、大阪市北区、阪急梅田駅ホームの高架と新御堂筋に挟まれた一帯。

北で豊崎、東で鶴野町、南東の一点で中崎西、南で角田町、西で芝田と隣接する。

2008年(平成20年)末から翌年初頭にかけて発掘調査が行われ、その結果、1世紀ごろはこの辺りは大阪湾の干潟があり、淀川や大和川からの土砂が運ばれ、自然堤防が形成され、5世紀中頃にはこの辺りで人が活動をしていたことがわかっている。

町名は大坂と尼崎・西宮を結ぶ中国街道沿いに「鶴乃茶屋」「車乃茶屋」「萩乃茶屋」と呼ばれた茶屋があったことに由来する。


ビル街に沈む夕日はきれいです。

やがて街も淀川も赤く染めて陽は沈む。

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