明通寺は、福井県小浜市門前にある真言宗御室派の寺院。
山号は棡山(ゆずりさん)。
本尊は薬師如来。大同元年(806年)、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる。本堂と三重塔は国宝に指定されている。
まずこの朱色の橋を渡ります。
橋の下を流れる川は澄んでいて、木漏れ日がさしていい感じ。
急な階段の上は山門(市指定文化財) – 江戸時代の明和9年(1772年)再建、瓦葺、三間、二重門。
三重塔(国宝)
文永7(1270)年上棟。総高22.12m。
和様を基調としているが、初層に拳鼻(こぶしばな、部材の末端部に拳状の装飾彫刻を施したもの)を用いる点に大仏様(だいぶつよう)の要素が現れており、塔に拳鼻を用いた最古例とされている。
明通寺創建当時、棡木(ゆずりぎ)の大木によって、本尊薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置した。
明通寺の山号、棡山(ゆずりざん)のいわれでもあります。
その三体の仏像は、その後火災などによって焼失し、現在の三体の仏像(いずれも国指定重要文化財)は檜材によつて九〇〇年前に彫られたものです
若葉が出てくると古い葉が落ち、次々と代謝していく。
ゆずり葉、譲り葉とも言われる。
含蓄のある名前だ。
お帰り道 勝手門へ。
門の横には樹齢500年のカヤの大木。
そばの畑には半夏生が涼し気に咲いていました。
かくかくに 人は言ふとも 若狭道の
後瀬の山の 後も逢はむ君
大伴家持の妻・恋人
かつて若狭の国府が置かれた小浜は、まるでこの町を優しくつつむような後瀬山に護られている。
後瀬とは,「後に逢瀬」を連想させ、国府小浜が比較的都に近いこともあって、その名は通っていたようだ。
表題歌は,恋愛関係にありながら,別れたものの10年ほどの後に夫婦になったと言われる家持の妻の歌。
これには,家持の返歌(万葉集巻4-739)がある。
後瀬山 後も逢はむと 思へこそ 死ぬべきものを 今日まで生けれ
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