絶品ダコの下津井漁港散策

地域


むかし下津井回船問屋「母屋」と周辺の町並み>

下津井節で全国的に知られている下津井魚港。

北海道で獲れたニシン粕、かずのこ、こんぶなどを満載して、日本海から関門海峡を廻って北前船が行き来していた。

その頃、下津井は「風待ち、潮待ち」の良港として知られており、下津井節はこの北前船の船頭たちによって伝えられたと言われている。

「むかし下津井回船問屋」は、江戸時代に金融業と倉庫業を営んでいた西荻野家の住宅を、明治初期に回船問屋高松屋(中西家)が取得したもので母屋やニシン蔵として使われていた。

母屋を中心に、むかしの下津井にまつわるさまざまな資料を展示している。

下津井名物「干しダコ」~むかし下津井回船問屋の隣の店で販売している干しダコ

明石では干しダコの最盛期が夏であるのに対して、下津井では冬。

これは明石が産卵期を迎える前のタコを干してお盆に向け京阪神地区へ出荷するのに対し、下津井では冬の気温差を利用してより旨みを凝縮した大きな干しダコを正月に向けて出荷しているためだと思われます。

明石も下津井も潮の流れが速く、そのせいで太くがっしりした足になり歯ごたえと甘みが増すといわれてます。

下津井駅

かつての四国往来に由来する、下津井 – 丸亀航路との連絡駅であり、駅舎南側から下津井港の発着場まで連絡通路が設置されるなど、同航路との連絡の便が図られていた。

陣羽織
凌波隊の指導者が所有していたもの。

写真では分かりにくいですが、法被には紋の下に白い兎が刺繍されています。

凌波隊とは、幕末に下津井で生まれた民兵隊。
下津井に何カ所か設けられた台場を守っていた。

当時の繁栄を物語る看板。

明り取り窓。

今日のお昼は食事処「Cantina登美」で。

前の海で獲れた新鮮な魚介類を使った「蔵定食」。
海鮮丼、タコ天、あなご丼等、また、ピザやパスタなどもあります。

高い天井、太い梁などかつての豪商ぶりが感じられる。

瀬戸大橋の架橋に併せ沿岸道路が整備されたため港も近代化が進んでいるが、常夜灯や雁木が一部残っており、街中には江戸時代に廻船問屋や遊郭が軒を並べた頃の面影が残り、岡山県によって町並み保存地区に指定されている。

散策中に見かけたかわいい人形。

どの家の軒先にもアルミ缶風鈴がきらきら。

街には遊郭もありました。

北前船が港に入ると船乗り達の上陸を待ちかねているお女郎さん達が「まだかな、まだかな」と声をかけたそうです。

その「まだかな」という声が、そのまま小さな橋の名前になりました。

それを「まだかな橋」と言います。

元は海岸にあったこの橋(桟橋)も海岸の拡張工事で埋め立てられてしまいました。

今は元の海岸近くの埋め立て地の下になってしまい、わずかに遺構と思われるものが残っているだけです。

下津井港に突出した浄山には、祇園宮の社殿があり、この境内からの瀬戸の眺めは絶景です。

祇園神社下から瀬戸大橋を望む。

ここは、釣りバカ日誌18 「ハマちゃんスーさん瀬戸の約束」のロケ地。

スーさんを探すはずが美しい瀬戸内海を前に我慢できなくなり、防波堤で釣りを始めたハマちゃんとスーさんが偶然出会うシーンの撮影が行われた。

映画「ひるね姫」の舞台、倉敷市下津井(しもつい)。

ひるね姫聖地のロケ地スタンプラリーが行われており、巡回バスの「とこはい号」にも「ひるね姫」が。

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