日本の「あか」を支えてきた街・吹屋。
その紅殻で塗られた豪商邸か゛軒を連ねる街並みは、産業遺産といえよう。
しかし、吹屋の産業遺産としての真の価値は、紅殻による豪商邸ではなく、日本の紅殻生産を独占できたわけにある。
それは、この邸の主・西江家によってもたらされたものなのだ。
西江家は、室町時代末期より当地に居住し、地方豪族として、戦国時代を経過している。
家譜によると、関東平氏の一つ、三浦の出自となっている。
関ヶ原の戦以後、幕府の直領(天領)となった、当地方を預る惣代庄屋(大庄屋)となり、幕府御用銅山を経営した。
写真中央は櫓門。
二層になっていて上層階の格子から見張りをしたという。
当家6代の祖、西江兵ェ門が宝暦年間に弁柄製造に着手し、吹屋弁柄の隆盛の基礎を創り上げた。
天領の支配を許され代官御用所を兼ねたため簡易白洲を設け、懲罪は当家で裁判を行っている。
家紋が入ったナマコ壁の蔵は、惣代庄屋時代の食糧備蓄用の蔵で、現在は資料館として使われている。
現存する建造物は、宝永正徳年間(約290年前)のもので、幕府御用宅のため「館構ぇ」(やかたがまえ)と云う、特別な型式を採っている。
二戸の楼門、総二階の母屋、離座敷、門屋敷、駅馬長屋、及数棟の土蔵で構成されている。
吉岡銅山が銅鉱採掘時副産物としてローハを発見、本山鉱山の原弥八が弁柄製造を始め、西江兵右衛門、谷本磯次郎が発起人となり、量産を開始した。
写真はお白洲の跡。
中庭に通じる門をくぐると、かつてのお白洲。
喧嘩や博打などの軽犯罪が裁かれた。
ローハの製造は先述の二軒のほか、寛政2年(1790)頃から中野村の庄屋広兼家が加わり、三家が代々相続して昭和初期まで続け、巨大な富みを蓄積した。
成羽町吹屋は岡山県西部、標高500mの吉備高原の中にたたずむ。
吹屋の町並みは屋根の色が赤味を帯びている、関西では見慣れぬ石州瓦の鈍い赤色である。
かって西日本一を誇った銅山と江戸中期に偶然発見されたベンガラの製造で昭和の初めまで繁栄を続けた町である。
これらの鋼や鉄、ベンガラは吹屋から更に荷馬に負わされて成羽へ運ばれ、それから高瀬舟で玉島港に集められ、上方や四国へ輸送さました。
江戸時代からの成羽や玉島の繁栄は、吹屋の鉱工業に負うところが大きかったといわれています。
本玄関。
式台がついた玄関は、代官や殿様クラスの来客のときだけ使われた。
手習い所の跡。
近隣の子どもたちを分け隔てなく、読み書きを習わせたという。
五間続きの部屋は当時としては、民間には許されていなかったもの。
今も18代目の当主が暮らす。
岡山市内での社長業を辞めての事だったという。
芭蕉の句碑
門前には松尾芭蕉の句碑も建てられていました。
江戸時代の物だそうです。
庭先にはシュウメイギクが見事に咲いています。
奥さんは、ここの土がよほどあっているのですねとおっしゃっていた。
切通しの急な坂を登る。
普通、これぐらいのキツい坂なら、階段があればと思うが、車が頂上まで出入りしているため、階段ではなく坂道になっている。
その昔は、ここを馬が行き来していたらしい。
西江邸への行き方歩き方
住所:岡山県高梁市成羽町坂本1604
TEL:0866-29-2805
FAX:0866-29-2806
JR伯備線備中高梁駅より、バスまたは自動車で約50分。新見駅からバスか車で20分。
中国自動車道新見ICより国道180号、正田の三叉路を右折、県道33号成羽方面で約30分。