紀州徳川家の飛び地 田丸城

東海

田丸城は南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたといわれる平山城であり、三重県指定史跡である。

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本丸虎口、石垣が段々になっているのがよく分かる。

戦国時代、織田信長の伊勢侵攻に伴い北畠具教の養嗣子となった織田信雄の居城として1575年(天正3年)に改築され、三層の天守を備えた近世城郭へと生まれ変わるが、5年後に火災で天守を焼失。

織田信雄は松ヶ島城へと移った。

その後、蒲生氏、稲葉氏、藤堂氏と主を移すが、最終的に1619年(元和5年)、徳川御三家の一つ紀州徳川家の治める紀州藩の所領となる。

北の丸跡。

北の丸跡から登城路を望む。

明治維新に伴い田丸城の建造物はほとんど取り壊されたが、天守台や石垣、外堀、内堀、堀切、空堀などの遺構は今も整備されて残されており、他所へ移築されていた富士見門、三の丸の奥書院なども再度移築され、往時の面影を偲ばせる。

田丸城の石垣は直線式の野面積みという石積み工法。
自然石のまま積んでいく古い様式。

室町末期から桃山時代の城に多い。
関ヶ原以降の城では打ちこみハギ、切り込みハギという石の面を加工して石垣の石垣の表面を整える様式となる。

田丸城はその成り立ちから、織豊系の近世城郭と南北朝時代の中世城郭の遺構を併せ持つ興味深い城である。

本丸へ向かう。

アジサイもきれいに咲いている。

天守台の登り口の石段。
斜めに付けられているために、最初は幅広だが、上がっていくに従って幅が狭くなるという独特の形状。

方8間高さ9間3層5階の天守閣跡。
同8年失火により焼失、信雄は松ヶ島城に移る。

天守台内部から、城下の田園地帯を見る。

天守台から360度の展望。
北東方面……伊勢湾、知多・渥美半島、はるか富士山を望む(今は見えない)。

本丸と二ノ丸との間の堀切。幅が15mほどもある。

二の丸虎口。

三の丸跡は玉城中学校になっている。

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田丸城へのアクセス、行き方歩き方

住所:度会郡玉城町田丸字城郭114-1
電話:0596-58-8204 玉城町産業振興課

JR参宮線「田丸駅」から徒歩で約10分