磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)は日本書紀に記載されている崇神天皇王朝の都。
現在、磯城瑞籬宮は奈良県桜井市金屋にあったとものと推定されている。
記紀によりますと、崇神天皇の時、民が死に絶えてしまうような疫病が発生しました。
これは、三輪山の神、大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)のしたこととお告げを受けた天皇は、神の意に従い、神の子孫となる大田田根子(オオタタネコ)を探し出しました。
そして、彼に託して三輪山に大物主大神をお祀りしたところ、祟りが鎮まり疫病がおさまったとされています。
また、東海や北陸、西国、丹波へと四方に将軍を派遣し国内の安泰につとめ、民をよく治めたことから、初めて国を治めた天皇としてたたえられたと記されています。
本宮の北側には三輪山(大神神社)が鎮座する。
周辺には纏向遺跡をはじめとする古墳時代前後の遺跡が存在し、箸墓古墳やホケノ山古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵、垂仁天皇陵などの巨大前方後円墳群が点在する。
磐座
三輪山西麓一帯の初瀬川と巻向川に挟まれた三角形をなす地域は、古くから「水垣郷」と呼ばれ、神聖な場所とされてきました。
磐座は神々の依り代とされ、神聖な場所として祀られてきました。
境内右側に鳥居で囲まれた磐座があり、複数の磐座が置かれています。
拝殿
拝殿の前の庭の西側に、ここが第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮の跡地であることを示す石標が建っている。
実際の宮跡はこの神社の境内ではなく、境内の西側にある天理教会の建物とその北隣りの三輪小学校のあたりにあったと推定されている。
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