神戸外国人居留地は、安政五カ国条約に基づき、1868年1月1日(慶応3年12月7日)から1899年(明治32年)7月16日までの間、兵庫津の約3.5 km東に位置する神戸村(後の兵庫県神戸市中央区)に設けられた外国人居留地。
神戸居留地ともいう。
旧居留地38番館は、兵庫県神戸市中央区の旧居留地にある歴史的建造物。
名称にある「38」という数字は、外国人居留地時代の区画番号を意味する。
百貨店の大丸(現大丸松坂屋百貨店)が所有し、北側と西側に隣接する大丸神戸店の倉庫として使われていた。
現在では、建築の価値を生かして店舗の一部として用いられている。
1980年代、旧居留地が「最も神戸らしい街」に再生するきっかけとなる象徴的な建物の一つでもある。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で1929年にシティバンク神戸支店として建設された。
1階をシティバンクが使用、2階には独逸染料、バイエル薬品が入居、3階に帝国酸素が入居していた。
その後2階のドイツ系2社が退去し、2階、3階を帝国酸素が使用した。
南側正面に4本のイオニア式円柱と東側面に7本の壁柱および石積み外壁等の石造意匠を有したアメリカン・ルネッサンス様式の近代建築。
仲町通りに面して大正時代築の外壁が残されている神戸大丸百貨店2号館・3号館と隣接しており、それらとともに100mにわたるクラシカルな外観で統一された街区を形成する。
夜間は日没から22時までライトアップされる。
1868年(明治元年)から1899年(明治32年)の返還までに、外国人に126区画に分けて競売された治外法権の場所であった。
やがて、居留地の外国人が山手に住居を構えるようになったのが、北野異人館街である。
当時、条約の未締結国であった清国から神戸に渡ってきた華僑は、居留地には住むことができず、その西側に多く住み着き、南京町といった中華街を築いていった。
居留地に対してこれら西側のエリアを雑居地といった。
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