1985年に開館した施設で、特攻隊員の遺書、遺品約4,500点が展示されています。
ちなみにこの施設は館内は一切撮影禁止なので、このブログにも掲載している写真は全て館外にあるものです>
特攻隊はアメリカ軍が沖縄・慶良間列島に上陸した太平洋戦争末期の昭和20年3月26日にはじまっています。
会館周辺には護国神社や1955年に建立された知覧特攻平和観音堂があり、浄財や篤志家によって建てられた特攻勇士の像「とこしえに」(1974年設置)と母の像「やすらかに」(1986年設置)が向かい合うように建っている。
一帯にはいくつかの慰霊碑が設けられ、次第に数を増やした灯籠が並び、鎮魂の雰囲気を醸しだしていた。
三角兵舎跡、空襲を避けるため飛行場から少し離れた松林の中に三角兵舎が造られた。
三角兵舎は、半地下式木造のバラック建てで、屋根には偽装用の幼木をのせていました。
ここで特攻隊員たちは出撃までの数日間を過ごしたのです。
現在、その跡地には三角兵舎跡の石碑が建てられています。
陸軍関連の総出撃者1,036人のうち、全体の4割ほどにあたる439人が知覧から出撃したと会館では記録しているが、資料によっては変動も見られる。
なお知覧から出撃したのは基本的には陸軍の部隊であることに注目する必要がある。
実際に、出撃した航空機数や戦死兵の数は海軍の鹿屋基地の方が多く、知覧の2倍前後もの数となっている。
ただし、陸軍の兵士であっても鹿屋から出撃したり、逆に海軍の兵士が知覧から出撃するといったイレギュラーケースもあった。
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