生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海(弘法大師)も修行したと伝わる。
その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったという。
江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。この時が事実上の開山と思われる。
江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集めた。
京都の皇室や江戸の徳川将軍家、郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、聖天信仰の霊場として名高い。
本堂前に建つ「天神」、菅原道真公を祀るものですから、縁のある「牛」が奉納されています。
聖天堂の前にあったお賽銭箱は、歓喜天さまに付きものの「巾着袋」型。
歓喜天像が手にする巾着袋は砂金を入れるものとされ、ご利益の象徴的なアイテムです。
また、描かれているクロスした大根もシンボルの一つ。
歓喜天の供物で、白い色に力があり、体内の毒や煩悩を消し去る効果があるとされています。
「多宝塔」から「奥の院」へと続く石段は、その両端にお地蔵様がずらりと並ぶ。
石段の途中には、「大師堂」や「子安地蔵」のお堂が。
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